温かい言葉は心をほぐす。
温かい言葉を普通に使える人がいる。
同じ言葉なのに・・・
その人が使うと、なんか違った言葉になる。
なんて言ったらエェのやろ?
う~んと・・・
単なる言葉に想いが込められ、命が芽生えたかのよう、と言えばニュアンスが伝わるのかなぁ・・・
それにしても、不思議で仕方がない。
なんで、あんな温かくて優しい文章を綴れるのやろう?
読むだけで心がホッとするような、元気が出るような文章を。
どんな人生を送れば、そんな言葉を綴れるように、扱えるようになるんやろね。
教えてもらえるんなら教えてもらいたい。
けど、教わったところで、誰にでも扱えるものじゃないんよね。
なんたって、自分が使う言葉には、今までの自分が現れるから。
でも、誰にだって温かい言葉を、素晴らしい言葉を使えるもの。
なんたって、今、温かい言葉を扱えている人というのは、最初から特別な人だったわけではないから。
だから、誰にだって使えるものなのだろう。
本来は・・・
ただ、言葉を意識して使っていないだけなんよね。
何も意識せずとも言葉は使えるからこそ余計に・・・
だが、誰にだって、温かい言葉を扱えることはまちがいない。
なんせ、大切な人に手紙を書く時、ほとんどの人が温かい文章を書くから。
相手のことを真剣に想って、自分の伝えたい想いを熱く書くと、自然と、言葉に、文章に想いが宿り温かい文章になっちゃう。
ということは、温かい言葉を扱い、文章を綴れる人というのは、手紙を書く時のように相手を想って言葉を使っているだけなのかもしれない。
それを普段から意識して過ごしているから、何気ない言葉にも温かさが宿っているんちゃうかなぁ・・・
なんか、温かい言葉を扱えるヒントは「手紙」にありそうやね。
ひょっとすると、Emailが流行っている今だからこそ、「手紙」の大切さを思い出す時期が来ているかもしれないね。
相手のことを思いやる気持ちを育むための手段の一つとして。
そもそも、「手紙」というのはEmailのように気軽に出せるもんじゃない。
なんたって、手紙には、どうしても、お金と時間がかかってしまう。
あと、相手への想いも。
手紙を書いたことがある人なら分かるだろう。
ただ、手紙って手間はかかるけど、その分相手には想いが伝わりやすいんよね。
それが手紙の良い所。
でも、今は手間を省き、利便性ばかりを追及する風潮がある。
利便性や効率的なことを求めても、相手への想いは中々育まれない。
だからこそ、一見面倒くさく感じる手間がかかることを普段の生活に取り入れることが大事なんちゃうかなぁ・・・
アナログ的な考えだけど、このアナログ的な考えが、人間性を育むのに大きな影響を与えているのでは・・・
どれだけ手間をかけて、自分を育んでいるのか。
それによって、自分が使う言葉って変わってくるんちゃうかなぁ・・・
そりゃそうと、どれだけ相手のことを想いながら言葉を使えるか?
そこに、温かい言葉を使えるカギがあるような気がする。
そして、相手のことを想う気持ちを養う方法として、「手紙」は良いツールなんやろね、きっと。
ひょっとすると、メル友が多い人よりも、ペンフレンドがいる人の方が温かい言葉を使っているのかもしれないね。
なんせ、想いがこもった温かい言葉を使う頻度が多いから。
Emailはすぐ伝えられるけど、すぐ伝えられる分、想いを伝えるのには、想いを育むのには向いていない。
たとえ、何通ものEmailを出したところで、真剣に書いた手紙一通にはかなわない。
案外、そんなもの。
仮に、ペンフレンドがいる人が様々な場所で増えていくと、世界って変わるかもしれないよね。
思いやりのある人がたくさん増えることによって・・・
なんか、そんな世界が訪れるといいね。
Emailが流行っている今の時代だからこそ・・・
「あっ!」
久々に友達に手紙を書こう!
サコヤンの独り言
「あの人に手紙を書こう」