人の可能性は誰もが無限大。
可能性がない人なんて一人もいない。
なのに・・・
自分の今の力を知り、周りの力を知り、現実を知ることで、可能性をしぼませてしまう人がものすごくたくさんいる。
ただ、そんな中、可能性を広げまくっている人だっている。
同じ人間なのに全く異なることに・・・
両者の違いって一体、何なんやろね?
一度、考えてみる価値はある。
僕が思うに、両者の違いには使っている言葉があるような・・・
一方は「私には無理」「やったことがないから私にはできない」「あの人は特別だからね」といったできない理由・やらない理由を考える天才。
かたや、もう一方は「私ならできる」「やったことがないからこそ楽しいんやで」「あの人にできたんやから、私にだってできるはず」といった、できる理由・取り組む理由を考える天才。
使っている言葉が180度違っている。
ただ、ここで、考えてほしいことがあるんだ。
ほとんどの人が、小さい時には2番目のような言葉を使い、価値観を抱いていたということを。
だって、多くの人が、小さい時には、夢を抱き、希望に満ち溢れ、一生懸命になれていたんやから。
本気で、プロ野球選手になれると思っていた人はたくさんいるし、また、音楽家になれると本気で信じていた人だっている。
また、サッカー選手になれると信じて疑わなかった人だってたくさんいる。
しかも、恥ずかしがらずに堂々と、平気で、「私は○○になるんだ」と宣言することだってできていた。
ここには、自分の可能性を疑う、信じられないといったことは、微塵ほども感じられない。
それなのに・・・
成長するごとに、経験を積むごとに、最初のような言葉を使い、価値観を抱いてしまっていることが・・・
周囲に強く影響されちゃって。
特に、親や先生、クラスメートの影響っていうのはものすごく強い。
なんせ、近くにいる人達の一言っていうのは、胸に突き刺さっちゃうから。
たとえ、言った本人には傷つけるつもりはなくともね。
たった一つの言葉を受けるだけで思考や行動が変わってしまうこともあるんよなぁ・・・
実際、僕は小さい時に「転校生のくせに・・・」
という言葉を受けて、自分の様々なモノを変えてしまったから。
そして、変わった自分を本来の自分と捉え、時を重ねちゃってたんよなぁ・・・
今思うと、偽った自分やから、どっか無理があったんやろね。
ようやく、ここ数年で、偽った自分から本来の自分に戻りつつあるような気はしている。
ちょっとした成長。
んで、今まで、一度信じることができなくなった自分の可能性を再び信じられるようになる、というのは、不可能なものだと思っていた。
でも、そうじゃなかったんよね。
だって、人は変わることができるから。
ただ、自分を信じる方法を知らなかっただけだったんよね。
方法さえ知れば、少しずつやけど、信じられるようになれる。
案外、そんなもの。
自分の可能性が信じられない時、自分の可能性がしぼんでいるように感じた時、壁にぶち当たっている時、そんな時こそ、自分が知らない世界に触れればエェ。
ただそれだけで大きく刺激を受け、変わることができる。
本を読むのも良いし、すごい人に会うのも良い。
また、旅に出るも良い。
方法は何だって構わない。
なんせ、知らない世界を知るだけで、今までの自分の常識を一度崩すことができるから。
そして、この自分の常識が崩れている時がすっごいチャンスなんよね。
なんせ、自分の可能性が広がっている瞬間でもあるから。
自分の可能性を信じられるようになりつつある今。
これをもっと高めるためにも、今まで知らなかった世界を知る。
いや、知らない世界に浸り、次のステップに行く時期な気がする、特に今は・・・
ほんでもって、可能性は誰もが無限大。
だから、自分の可能性に蓋をすることはものすごくもったいない。
自分の可能性を今以上に信じることができたら、今以上に楽しく過ごせる。
今以上に道が拓ける。
だからこそ、自分の可能性を信じることってものすごく重要なことなんよね。
特に今の時代は・・・
サコヤンの独り言
「自分の可能性を信じよ」