事業の失敗によって
ここに至らなければ知り得ない
叡智のようなものに出会えました。
人生は思うようにいかないものです。
自分は変わらなくても時代が変わりますし
環境が変わらなくても自分が変わります。
成長して靴や服のサイズが合わなくなったら履き替えたり買い換えたりするように
時代や環境と自分が合わなくなったら「着替える」のは自然なことです。
そうやって軌道修正していく必要があります。
かくゆう僕も
歩んでいる道に未来がないと感じて
外れた道を歩み
さらには自分で道を拓くような生き方をしてきました。
それは
自分と社会との乖離に居心地の悪さを感じていた・・・と
今なら冷静に振り返ることが出来ます。
その乖離に目をつむっていたなら
僕は精神的な病に冒されていたに違いありません。
(精神的な疾患は誤った道を歩む事により発症するというのが僕の持論です)
そんな僕が、
僕自身「偉かったな」と思える唯一のことは
随所で「自分の心の声に従った」、ということです。
それは常識の中で生きている以上
決して褒められるものではない場合が多いので
「心の声に従う」という決断に最初は躊躇しました。
でも
自分がどうしたいか?
何が自分にとっての幸せか?ということは
頭より先に
心がとっくに気付いるように感じるんです。
心が発する声に耳を傾け
それを羅針盤に行動してきました。
心の声は、
実に純粋で本質的で疑いようのないものです。
おかげでどんな苦境下にも迷いや不安はありませんでした。
この度、自らの会社が破産してしまったことに伴い
人によっては「恥さらし」と思うような告示もされました。
最終結果がこれなら恥かも知れませんが
僕の挑戦は「道半ば」と長期目線で見ることが出来ていますから
心は随分痛みますが、これは僕の句点。
人に何と思われても
大切なのは自分が何を目標に生きているかということだから
ここでの評価は全くといっていいほど気になりません。
これは因果応報で報いた今の僕の結果です。
ここで終われば「敗北者」。
次にどんな結果をもたらすのかは
結局のところ
何をするか?ではなくて
自分がどうあるか?それ次第・・・
つまり僕の本質的価値が備わっているか否か?です。
僕が出来ること、やるべき事は
心の声を拠り所に
自分を鍛え、磨き、高め続けることでしょう。
それも大事なことだけど
前提として「次に」目を向けることが必須となります。
人生は一度しかありませんが
その人生は失敗を許容してくれるものです。
諦めない限り挑戦は続けられます。
僕には夢があります。
夢とはその人の生き様。
夢はどこかに転がっているわけではなく
自分の中に潜んでいるものだから
磨くことで顕在化します。
そうして見つけた本当の夢とともに
僕は生きていきます。
それすら心はとっくに知っていました。
See ya!!
僕じゃなくても出来る店は僕じゃない人がやればいい
荒野に道を拓くことで
人が集まり
見たこともない光景に目を輝かせ
幸せそうに歩いてくれることを夢見て挑む

