目のぎょろっとした、坊主頭で日に焼けたいかつい、ちょっと見たところヤバイおじさん。
 甚平をきて、茶髪の若者を引き連れて、ガハハっ!!と笑って、病院が似合わない。それが鈴木さん。

 サーフィンが好きで、若者の友達がいて、すごく大切にしている奥さんと娘さんがいた。
 
 彼は、胃がんだった。
 手術の日。

 終わった後、主治医が言っていた。
 「転移があった。とりあえず、やれるだけやった。おそらく、再発するだろう。」

 バイパスをされたことで、ひとまずは復活をした。
 体重が10キロくらい落ちたせいで、かなりスリムになってしまった鈴木さん。
 余計に目が目立って、黙っていると怖かった。
 けど、笑顔はいつも可愛くて、優しくて、お茶目だった。

 食事はいつも残していた。
 そのくせ、「ご飯はどれくらい食べた?」ときくと、「完食!」とウソをつく。

 わたしゃ、食事を下げるところを、こっそり隠れてみてんだよ。
 ほとんど食べてないじゃない。

 「痛いとこある?」ときくと、「全然!いやぁ、へいちゃらさ」と答える。
 夜中、布団に丸まって、声を殺して、膝を抱えているじゃないか。
 
 こっそり、指示の痛み止めを持って部屋を訪れる。

 「痛み止め、使お。」と私。
 「ばれちゃったか・・・。すまないね。心配かけて。」と鈴木さん。
 「はは、心配するのが、お仕事ですから。」と私。
 そんな、人だった。 鈴木さん。


 どうにか痛みもコントロールでき、術後の経過も落ち着き、一時退院。

 2ヶ月くらいしてから、偶然外来で見かけた。
 「おー!元気か!このオタンコナース!」
 口は、相変わらずだ。
 外来で、思わずハグハグしあう私たち。

 ん?? お腹が・・・・。腹水???  
 すごく大きくなっている。いや、足も、まるで像のようだ。足首が、ない。

 「おれ、妊娠したみたいだろ。いやぁ、どうなるんだろうなぁ。
  女房がさ、心配するのよ。
  歩けって。
  腹水や足の腫れは浮腫だから、歩かなきゃだめだって、頑張れってさ。
  頑張らないと、泣きそうな顔するのよ。
  だからさ、頑張ってるよ。」

 そっか。頑張ってるのね・・・  心配しながら、仲良く腕を組んで病院を後にする二人を見送った。

 
 それから、一週間後。
 また外来の椅子にいた。
 黄色い、まるでカレーに染まったような顔色、全身の色をして。

 黄疸。

 胆道が閉塞したらしい。どうやら、がん細胞が増殖してしまっているらしいことは、ナースの私にもすぐ分かった。
 もう、彼がどうしようもないくらいの身体のしんどさがあるだろうことも。

 「オタンコナース、おれよ、歩いてきたんだわ。
 しんどくて、女房が、とりあえず先生に相談にいこうっていうからさ。
 それでも、歩かなきゃ、だめになるって、あいつ必死に、歩けってさ.....。
もうさぁ、疲れたよ。
 けどさ、女房がさ、泣くんだよ。。。
 頑張らないとさ、いけないんだよ。おれ。」

 もう、見守っていられなかった。
 「いますぐ、先生に相談してくる。
 入院しよう。
 鈴木さんがしんどいからではなくて、先生が、検査しないと無理って、入院しなさい、って奥さんに伝えるから。」

 それから鈴木さんは、家族の前では思い切り元気だった。
 笑顔が絶えることはなかった。

 そして、面会時間が終わると、すぐに痛み止めと吐気止めを使った。
 極力訪室を控えた。様子は見ていたが、声をかけることを控えた。
 家族の、面会時間外でも付き添いたい、という要望も、ぎりぎりまで許可しなかった。

 鈴木さんを、笑顔で元気で家族と接しさせてあげるために、体力と気力を出来る限りを温存した。

 そして、最後まで笑顔で、穏やかな笑顔で家族と一緒にいた。
 もう、痛みと吐気はなくなり、たとえようもない倦怠感だけが残ったようだったけど、笑顔は穏やかだった。



 もう、無理して頑張らなくて、いいよ。
 お疲れ様。
 大丈夫、家族や友人は、あなたの笑顔と頑張る姿をしっかり覚えてるから。


 
 まだ、終末期医療が確立されていないころだったので、私たちもとても試行錯誤をした。
 医者も、治療ではない疼痛コントロールに不慣れだったのにも関わらず、とても努力して文献をあさり、手をつくしたように思う。
 
 ありがとう
 その人が、どうしたいのか、どうありたいのか、それを尊重することの大切さを、教えてもらったと思う。