東京で
学会があるから、と
台風🌀😵💫💤にのって
娘が関西からやって来て
ウチに3泊寝泊まりしていました。
娘は9歳の時に海外に出し、また14歳で帰国後に、日本の中学校で椅子引きの悪戯に遭い脳脊髄液減少症に罹患
高校1年生でオペをしていただき、満員の中央線で片道1時間半かけての通学ができなくなりました。学校近くに暮らし、わたしは食事を作って運ぶ感じでした。
大学は6年間関西でお世話になり~で
離れている時間が長く
2人ともいつも戦闘モードで
母として娘に大事なことを伝えるあまり時間がありませんでした。
娘曰く、
「研修医3年目は勉強と仕事で忙殺されていて
生きていくのに必死過ぎて
わたしは
こんなことでいいのかな?」
と言うから
わたしの答えは
今ナニをしてるかを理解しておくとよいのでは?
【今は専門職としてのスキルを磨いているんだ】と。
比して
わたしの社会人としての出だしは
めちゃ視界不良でした。
ウチには働いている人がいなかったので(社会と接点なく)
働くイメージがなかった🙄
わたしはスポ根的に
厳しければよいのか?と思って
ツアコン
朝早く起きて
重い荷物🧳
2時間かけて通勤
難波駅でエスカレーターなんか待ってられないから
この階段を駆け下り
地下鉄御堂筋線に飛び乗って
梅田では
この階段を駆け上がり
蛍池駅から
モノレールに
忍者のように🥷
機敏に移動し
【8時半伊丹空港集合】仕事(ツアコン)に取り組んでいました。
ママの仕事は、医師ほどのスキルが身につく仕事ではなかったけれど、
遅刻せず
みんなの安全に気をつけて
仕事に責任を持ち
苦手な早起きをし続けることで
アップグレードしてる気分🤣になってた
頑張ってたけど
視界は拓けてなかったよね。
少ない給料なのに
きちんとしたお洋服を整えないといけないし
勉強も必要で
この状況で
どうやってわたしはひとり立ちができんのやろか?
と考えてたわ。
今、あの階段をあのスピードで走り降りることはできない
若さは貴重なもの
そしてそれはどんどんなくなる
それを自覚して
身体と気力を大事にして欲しいわ。
ママはみんながまだ使ってない時から
食洗機とか
乾燥機とか
自分のサラリーがタダ働きになっても、
この類にお金を使って来たよ。
あなたも
自分の身代わりを
購入するつもりで
時短家電を導入してね。
アタマを使わなくて済むところは
使わないようにして
仕事のパフォーマンスをあげる事
ラクすることに集中してね。
と
わたしが作った
食事を
無心に食べ続ける娘の横に座り
2回
言ったけど
伝わったかな?