今回は愛知県唯一の官幣大社 熱田神宮の紹介です⛩


場所は名古屋市熱田区で、愛知県で一番の広大な敷地を持つ神社であり、現在は天皇陛下より勅使が遣われる神社(勅祭社)です。

 


【祭神の謎】

熱田神宮の祭神は熱田大神(アツタオオカミ)、天照大御神(アマテラス)、素戔嗚命(スサノオ)、日本武尊(ヤマトタケル)、宮簀媛命(ミヤズヒメ)、建稲種命(タケイナダネ)の6柱ですが、熱田大神とは何者なのか。

それは後述します。


この熱田大神を除く5柱には共通点があり、これは全てたった一つの剣に結びつきます。


↑熱田神宮 拝殿


【謎の剣】

その剣とは草薙剣(クサナギノツルギ)と呼ばれるもので、日本神話に最初に登場したのはスサノオが傍若無人を繰り返し、アマテラスに高天原(たかまのはら)を追放された後のこと。

 

追放されて地上に降り立ったスサノオはお腹が空き、フラッと一軒の家に立ち寄ります。


↑素戔嗚と櫛名田姫 足名椎と手名椎 八岐大蛇


そこには年老いた足名椎(アシナヅチ)と手名椎(テナヅチ)と言う夫婦、櫛名田姫(クシナダヒメ)と言う若い娘が住んでいました。

本来 クシナダヒメ以外にも娘がいたのだが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という

『山8つ谷8つの巨体で、頭と尾が8つもある』バケモノに毎年 娘を一人ずつ差し出さねばならず、今いるその娘がとうとう最後の娘となってしまった。


そんな話を聞いたスサノオは妙案を思い立ち、特別に旨い酒を作り、8つの樽に入れるようにアシナヅチに指示をします。


↑酒樽と素戔嗚


その夜にヤマタノオロチがやってくると、スサノオはその8つの酒を差し出します。

ヤマタノオロチは8つの頭を酒樽に突っ込み、「美味い美味い」と言って飲み、酔い潰れて寝てしまいました。


その隙にスサノオは8つの首、7つの尾を切り落とし、最後の尾を切り落とした時に違和感を感じて見てみると、そこには剣が埋まっていました。


↑酒を食らう八岐大蛇と素戔嗚


これが天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と呼ばれる剣です。

これを手に入れたスサノオは高天原に向かい、傍若無人の詫びを入れる意味でアマテラスに献上しました。


↑天照大御神に剣を献上する素戔嗚


あれ?アメノムラクモノツルギ?草薙剣では…?



①【地上に降りた剣】

時は流れ、アマテラスの孫である邇邇芸命(ニニギ)が大国主(オオクニヌシ)より國譲りを受け、高天原より天下ります。

それを天孫降臨(てんそんこうりん)と言います。


その際に、アマテラスの依代として八咫鏡(ヤタノカガミ)と八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)に加えてアメノムラクモノツルギを携えてやってきます。

よりしろとは、神に代わって御霊が宿るもののことを言います。


↑神武天皇と八咫烏


ニニギの孫にあたる神武天皇が橿原の地で建国を宣言し、以降8人の天皇が即位します。


時は過ぎ、『アマテラスの依代である八咫鏡を宮中に置くことはよろしくない』

と言う占い結果が出、9代 垂仁天皇の時代に安置場所を求めた結果、伊勢に八咫鏡を祀る神社の創建がなされます。

それが伊勢の神宮、現在の内宮です。


八咫鏡は形代(かたしろ、同一の霊威を持つレプリカ)が作られ、形代の方は宮中に置かれます。


↑八咫鏡を差し出す天鈿女命と出てきた天照大御神


次代の10代 崇神天皇の時代に、天叢雲剣も形代が作られ、形代の方は宮中に、本物の天叢雲剣は八咫鏡同様に伊勢に移されます。

しかし、鏡も剣も、何故アマテラスの子孫である天皇の元に置いておくことが良くないのか、これが1つ目の謎になります。



②【旅立つ剣】

12代 景行天皇の時代、景行天皇は息子である日本武尊(ヤマトタケル)に対して様々な指示を出し、悪さをしてなかなか言う事を聞かない地域の豪族を従わせるよう、戦いに行かせます。


↑景行天皇


その際に、ヤマトタケルは化粧道具と着物を叔母である倭姫(ヤマトヒメ)に借りうけます。

ちなみにヤマトヒメは伊勢の神宮で『斎宮』と言う、天皇皇女が神宮にて奉仕を行うために定められた役職です。


化粧をし、女性ものの着物を着て宴席に潜入し、クマソと言う敵を倒しました。

恐らく、日本で最初に女装をした人がヤマトタケルだと思われます。


↑クマソ討伐をする日本武尊

幾多の戦いをこなした際に、ヤマトタケルはヤマトヒメより火打ち石と剣を授かります。
その授かった剣と言うのが天叢雲剣です。

しかし何故、宮中から伊勢に出されたアマテラスの依代である天叢雲剣と言う大事なものを、いくらアマテラスの子孫であるとは言え、これから戦いに行くヤマトタケルに渡したのか。
剣が破損する危険すらあるのに…それが2つ目の疑問。


③【名前が変わる謎】
その後、ある戦いで敵の火攻めにあったヤマトタケルは、咄嗟に天叢雲剣を使って周囲の草を薙ぎ払い、薙ぎ払った草を火打ち石で火をつけて逆に迎え火として難を逃れたとされます。
そこから、その剣が天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)から草薙御剣(クサナギノツルギ)へと名前が変わります。

↑難を逃れる日本武尊


しかし、アマテラスから授かった天叢雲剣の名を、ヤマトタケルを助けた功績があるとは言え、それを以て名前を草薙剣に変えてしまうのはどうなのか。
これが3つ目の謎です。


④【ミヤズヒメの兄】

ヤマトタケルは戦いに向かう際、ミヤズヒメの兄であるタケイナダネと共に行動します。

タケイナダネは熱田神宮の祭神の一柱でしたね。

その妹であるミヤズヒメとヤマトタケルは結婚します。


↑熱田神宮 八剣宮


しかしタケイナダネとヤマトタケルは共に戦った者同士ではあるものの、剣に直接関係のない人物だと思います。

何故、タケイナダネは熱田神宮に祀られたのか。

ミヤズヒメの兄だから?タケイナダネも剣を使ったのか?

これが4つ目の謎。



⑤【何故預けたのか】

ある日ヤマトタケルは、

「この剣を預けておく。私だと思って大事にしてくれ」

と言って、再び戦いに旅立ちます。


しかし霊力の宿った大事な剣を預けたヤマトタケルは、伊吹山で猛烈な寒さに遭い、そして力の発揮できない状況下で現れた巨大な白い猪に倒されてしまいます。


↑猪によって倒れ、白鳥となる日本武尊

その直後、ヤマトタケルは白鳥となり、現在の熱田神宮近くの地に飛んできたと言います。
ヤマトタケル白鳥飛来伝承地は日本各地にあり、熱田神宮付近の白鳥古墳(しらとりこふん)はその一例です。

未亡人となったミヤズヒメは熱田大地の海岸線突端に、ヤマトタケルが勇敢に戦った際に携えていた草薙剣を祀る神社を創建しよう、と思い立ちます。


↑江戸時代の熱田神宮付近 矢切の渡し


それが今の熱田神宮です。

しかし、崇神天皇時代に伊勢に移された大事な剣である天叢雲剣こと草薙剣、これを何故伊勢に返さずに全く別の神社を作って祀ったのだろうか。
そして、天皇 朝廷 伊勢の神宮に何故それが許されたのか。
これが5つ目の謎です。

↑剣を眺め遠い目をしている宮簀媛命


⑥【熱田大神】

話が最初に戻ります。

熱田大神とは誰なのか。

それはスサノオが発見してヤマトタケルが携えていた、天叢雲剣と呼ばれたり草薙剣と呼ばれたりする剣のことを指すのではないか?とされていますがハッキリしません。


伊勢の内宮の御神体は八咫鏡です。

内宮の祭神はアマテラスであり、八咫鏡ではなく、アマテラスの霊力 神力 神威などが八咫鏡に宿っていると言う意味です。


↑内宮 正宮


石上神宮も布都御魂大神(ふつのみたま)と呼ばれる神が祭神とされますが、御神体である布都御魂剣に布都御魂大神の霊力などが宿っているからと言います。

名前からしても、剣と神名が共通でわかりやすい。


↑石上神宮


しかし、熱田神宮の場合には草薙剣と熱田大神では名前の共通性がない。

剣を祭神にするのであれば熱田大神と言わず、『剣』であると言えば良いはずで、何故わざわざ熱田大神と表するのか。


剣が御神体なのはそうだとして、熱田大神が剣のことを表しているのは本当なのか。

これが6つ目の謎です。



⑦【社格の謎】

中世の時代、神社における社格制度が作られました。

例えば一宮 二宮と呼ばれる社格で、一つの国に対して一宮から多い国では三宮まで、国によっては武蔵国の様に六宮まで定められました。


例えば、

武蔵国一宮は大宮氷川神社、

摂津国一宮は住吉大社、

美濃国一宮は南宮大社、

と言うように規模の大きい神社を一宮に充てる例が多く、

二宮 三宮となるにつれて神社規模が小さくなっていく傾向にあります。


しかし三宮だから極端に小さな神社と言う訳ではないものの、神祇官や国司と言う国が認めた神社に関する役人が赴任した際には一宮から順に参内したとされるので、神社の力関係もあったとされます。


熱田神宮は尾張国ですが、

尾張国一宮は真清田神社(ますみだ)であり、

↑一宮 真清田神社


尾張国二宮は大縣神社(おおあがた)であり、

↑二宮 大縣神社


熱田神宮は三宮です。

つまり3番目。


明治以降の近代社格制度と言うものもあり、

神宮(伊勢)→官幣大社→国幣大社→官幣中社→国幣中社→官幣小社及び別格官幣社→国幣小社→道府県社→村社→郷社の順に小さくなります。


真清田神社は国幣中社、

大縣神社も同じく国幣中社、

熱田神宮は官幣大社となり、中世社格制度と近代社格制度では立場が逆転しています。


普通に考えれば、明治手前頃から熱田神宮が影響力を持つようになったので、近代社格制度では真清田神社と大縣神社とで立場が逆転したのだろう、となるでしょう。

しかし、中世社格制度以前には既に熱田神宮は広大な敷地を持つ神社であり、何度も言いますが天叢雲剣 草薙剣はアマテラスの依代となる大事な剣です。


これだけ大事なものを祀りながらも三宮とされていた矛盾…。

確かに一宮などの中世社格制度は、その地域代々に纏わる神を祀る神社、その地域の豪族の祖先を祀る神社を優先する、などの意味があったようです。


↑住吉大社


でも、摂津国一宮の住吉大社の住吉三神の大元は九州であり、

和泉国一宮の大鳥大社はヤマトタケルが白鳥になって飛来したことに由来するとされ、必ずしもその地域に直接関係のある神が祀られている神社ばかり、と言う訳ではありません。


単に、中世社格制度がこと細かく一宮神社を定めていなかっただけなのか…。

これが7つ目の謎です。


まだまだ謎はありますが、今回はここまで。



このように、熱田神宮に関しての謎、祭神の謎、天叢雲剣 草薙剣に関しての謎、社格の謎がいくつもあります。


しかし謎が多いからと言って何の空気感もない神社かと言ったらそんなことは全くなく、むしろ他の神社とは違ってハッキリと引き締まったバキっとした空気感が漂う、硬い雰囲気の神社です。

その空気感 雰囲気故、何だか身も引き締まる神社です。


次回は境内の様子と、社殿に関する謎を交えて紹介します⛩