どう思われましたでしょうか。
以前もお話ししましたが、私は「こちらに来た生徒一人ひとりの人生に大きく関わっている。」と思っています。
広く考えましたら、どんな立場の人でも人と人が巡り会う事は何かしらお互いの人生に影響があるものです。
それでも大きく影響を与える可能性がある仕事をしているのが「先生」ではないかと思います。
学校を始め、お稽古事の先生でもその子の人生に大きく関わっていると思います。
そのお稽古事をしたことで、その子が目覚めてその道を歩みたいと思うかもしれないですから。
この3人の中学生の将来は一体どうなってしまうのでしょうか。
怖いのは勘違いした側が「だって勘違いしちゃったんだから、しょうがないじゃないの。そんなに責めるなんてパワハラよ。」などと言い出す社会がそのうち出来上がってしまうのではないか…そのような懸念があります。
どんなに出来なくても、どんなに周りに迷惑をかけていたとしても注意をし過ぎたら それは注意をした側が悪い事になる世の中。
「受け取る側がパワハラと思ったらそれはパワハラ。」と言われている昨今。
これからどんどん「ありえないミス」は増えるでしょうし「不注意な大人」が増えるでしょう。
それによって、今回のように子供が犠牲になることもあるでしょう。
小さなミスが大きな出来事を招くことだってきっとあると思います。
しかしそれをガミガミ言ったら、パワハラと言われてしまうかもしれない恐怖から、気づいているのに注意ができない…。
こんな社会になるような気がして恐ろしいです。
産まれて間もない時から、お父さんもお母さんも仕事に行って保育園に預けられてしまう時代。
保育園の先生方ももちろん愛情をかけてやってくださっていると思いますが、やはり両親からの愛情に勝るものはないと思います。
それだからか、最近は「情が薄い子が多い」です。
学校の先生も流れ作業とか事務的とかそうならないように、一人ひとりの生徒に愛情を持って人として情を深く関わるようにすれば、もっと注意深く、もっとその子のことを親身に考える行動が出来たかもしれません。
まして生徒に対する性加害などもってのほかです。(最近、めちゃめちゃ多くないですか?)
私と同じかそれより上の世代の先生方がよくおっしゃるのが、「こちらは一生懸命やっているのに恩を仇で返すような親子が多い。」と。
しかしこれも先生側が勝手に「恩義」と思っているだけで、最近の若い親子さん達は「うざい」と思っているのかも…。
私たちより上の昭和を生きてきた人間は「精神論」みたいな部分を大切にして、情熱的になってしまう部分がありますから…。
大事な事のはずですが、最近のドライな人たちには通用しない事も増えました。(近年、私だけではなく、生徒たちも傷つけられるようなことがあって、「辞め方」に人間性が出ることを思い知らされて考えさせられました…)
それでもやはり「先生」との立場を歩んでいこうと思うのであれば、どれほどひどい裏切られ方をしようとも最後の最後までその子には深い愛情を持ってその子の将来を考えて接することが大切だと思えてなりません。