なつが亡くなって10日ほど経ちました。




ものすごく不思議なのですが、シヴィルはなんとなくいつの日かお別れする時が来る…そんな覚悟を持っていたように思います。
もちろんなつだってお別れする時は来るのはわかっていましたし、それなりに覚悟もしていたつもりなのですが、シヴィルの時ほど「なつがいなくなる」事が想像できなくて…。

妖怪ではないのに なつはなんとなくずっといるような気がしていて…。
あの子がいない事がこんなに不自然なことといいますか、変な感じといいますか「なつがいないっておかしくない?」みたいな感覚です。

それでも10日も経てば泣く時間もだいぶ減ってきましたし、今頃シヴィルとなつが私の悪口でも言って笑ってくれていたらいいな…そんなことを考えられるようにもなりました。

動物は言葉を持ちませんから、人間が全て都合の良いように解釈をしています。
「ご飯が欲しいのね」
「撫でて欲しいのね」
「抱っこしてほしいのね」
「お風呂に入ろうね」
「さぁ、寝る時間だよ」

良いことであっても全て人間が自分中心に思い、掛けている言葉なんだな…そんなことを改めて考えています。

なつにとても申し訳なかったのは、以前もチラリと記事に書きましたが、おそらくなつ自身もシニアで大きく変わりかけていた12歳~13歳頃…その頃にちょうどシヴィルの介護になってしまいました。
そんなつもりはなかったけれど、なつにしてみたらもっと自分のことも気にかけて欲しかったのではないかしら…もちろんこれも私が勝手に思っていることではありますがそんなふうに思っています。

あれだけべったりくっついて、寝る時も私のベッドでないと寝ない…そんななつがいつから私のベッドで寝なくなったのか思い出せないのです。

シヴィルが亡くなった時、なつがいる事であんなに慰められたのに、私はなつがいつから一緒に寝なくなったのか、いつからお腹を私に見せなくなったのか、いつから甘えて来なくなったのかを思い出せないのです。

最後の徘徊をしているところや、血便を出してしまったりご飯を上手く食べられなくなってしまったり…弱っていることばかりが思い出されてしまい、若くて可愛くてお尻をフリフリして、私のところに駆け寄ってきた…ちょっとゴミを捨てに行って1分ほどしか家を開けていないのに、3年ぶりみたいに尻尾を振って玄関にお迎えに来てくれた…そんな姿をあまり思い出せないのです。

ごめんね なつ。


私自身は最初 正直なところ「チワワ」という犬種に対してそこまで良いイメージはありませんでした。
小さいから飼いやすい程度の事。
昔はチワワってあまり可愛くなかったのですよ…昭和の時代…わんちゃんや猫ちゃんって品種改良みたいなことが重ねられて、今はみんなとても可愛くなっているように思います。

でもなつに出会って「チワワ」のイメージも変わりました。
いや違うな…チワワが好きなんじゃなくて、なつが好きなんだな。

なんだか支離滅裂で申し訳ない…。

こうして書いていても涙が止まりません。

自分の都合の良いように解釈をしている…。
これはペットだけではなく、人間関係でも起こりうることです。

それですれ違いや思い違いが起こってしまわないように…。
せめて人間は言葉を持っているのですから、勝手な思い込みで人間関係や親子関係が悪くなってしまわないようにしたいものです。


  「そーだそーだ」