カッコイイことしたくなるくせ | さきらくのぼこ(篠木京子)、所沢市家事代行・掃除のブログ

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物品管理が苦手な整理収納アドバイザー・篠木京子(ぼこ)です。西武線の所沢駅を起点にして車で30分以内で行けるところの、家事代行・掃除と未来の自分を楽にするアドバイスを請け負っています。気が向いたら呼んでください。

クリンネスト&整理収納アドバイザー・ぼこ(篠木京子)です。

「イイネ!」をありがとうございます。

自己紹介(2021年3月15日)はこちらからどうぞ。→

 

ジョハリの窓、という、コミュニケーションにおける考え方があります。
 
自己には4つの窓があるというもの。
「自分も他人も中が見える窓」
「自分からは見えるが他人からは見えない窓」
「自分からは見えないが他人からは見える窓」
「自分も他人も中が見えない窓」
 
この考え方の怖いところは「自分からは見えないが他人からは見える窓」があることです。
 
つまり、自身のイメージと他人のイメージがズレているということ。
そのことを自分では気づけないということです。
 
「私ってどんな人間だと思う?」と気軽に聞けて、忌憚の無い意見がもらえる人は、他人からのイメージを聞いて(そういうところもあるかも知れない)と気づくことが出来ます。
 
私は聞けませんし。
たぶん「良いこと」しか言われないと思います。
 
なので、普段、思ってもみなかったことを言われたりしたりしたときは、(これは他人からは見えているのでは?)と思い、いったん自分の中に取り入れることにしています。
 
この間、質問されて「知らない」と答えました。
何だか、すごくがっかりされて、慌てて何かを答えようとして、ハッとしました。
 
今まで、人が離れていく直前には、こういうことがよくあったと思い出したのです。
質問してくる人は(篠木京子さんなら知ってるはず)と思って聞いてくるわけです。
「知らない」と答えて期待を外せば、がっかりはされるでしょう。
そこまでは通常のこと。
 
問題は、この先。
「がっかりさせたくなくて、無理にでも答えようとししてまうこと」です。
無理なんだから、当然、いい加減な答えです。
知ってることと知らないことを比べれば、知らないことのほうが圧倒的に多いのだから、別に恥でも何でもないです。
 
自分の専門だったら勉強不足ですが、そういった勉強は生涯続きます。
次々と新しい技術が生まれますから。
なので、質問をきっかけに新技術を勉強できたら、それはありがたいことです。
 
頭ではわかってるんですよ。
間違った答えをひねり出したって仕方無いとは。
 
お力になりたい。カッコイイ自分でいたい。
そういう「見栄をはる自分」が存在していることを最近認識しました。
 
「見栄」という言葉は、ブランドの洋服とか、高価なアクセサリーとかを思い浮かべてしまうので、自分とは関係ないと思ってました。
 
「嘘でもいいから、質問に答えたい」というのは「見栄」ですね。

これからはきっちり自戒して、無理に質問に答えるような真似は止めます。

 
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