新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。



本日は算命学という流派の鑑定の方々の集う新年無礼講大鑑定大会(!?)に

お誘いいただき、おじゃましてきました。



算命学も人間を自然の中で観て行く

一つの方法。

とても深い学問だな~と思いつつ

娘と一緒にごはんをぱくぱく食べながら

とても心に残ったことが一つ。


「それぞれには それぞれの 苦しみがある」。



その苦しみは それぞれで

本人にしかわからないけれど

そういうものがある

という視点。


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これを想うときに

一つ、思い出すエピソードがある。


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大学生の頃していた Child Line という子どもの臨床のボランティアにおいて

世界カンファレンスがあったときに

不登校という問題を抱える日本のこどもたち

家庭の経済状況で学校にいけない という問題を抱える インドのこどもたち

が対面することがあった。



日本からの大人の代表者が

「日本の不登校という問題は、 

学校に行きたいのにいけない

という悩みを抱える あなたたちがみて

贅沢な問題だとはおもわないか?」


という質問を投げかけたところ





インドの子どもが代表して

「そうは思わない。」

と答えたこと。


「それぞれの国で、それぞれの悩みはあり


苦しんでいる、という点において

その悩みは同じである。」



と大きな声ではっきりと答えたこと。


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その当時はあまりその大きさを

わかっていなかった気もするけれど

それでも すごいなあと 思って なにか感じるものがあって

覚えている。


***

今思うと

その凄さが よくわかる。




人の悩みは

それぞれあって

その苦しみは

他人からは計り知れないけれど


そういうものはある


という視点。



標準からみてどうこう とか

常識からみてどうこう とか

そういうものではなくて

それぞれには

それぞれにしかわからない苦しみがある

そういうものがある。

それを算命学の命式は

見事に読み解いているし

その時点でとても救われる人も多いのだと思う。


(もちろん物事は表裏一体なので、その人にしか判らない楽しさだとか
人生の喜びもある。よい面や特技がある。物事は表裏一体なので、それは然り。
そこをみていくのも算命学の特徴である。)


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個性をみていく医学

アーユルヴェーダ

個性を自然の法則によって見事に読みといていく

算命学。

「そういうものもある」

地上に生きる人間の

個性を知ればしるほど

人の奥深さを感じるし

それぞれの主観において展開される人生を

リスペクトせずにはいられない。


そういうものもある。

たとえ自分には持っていない視点であっても

持っていない喜びや 苦しみであっても


そういうものもある。

セラピスト という仕事は

それをありのままに受け容れるだけの仕事だったなあと

原点に還る思いの ある一日でした。