買い物に行くと、梅の実が店頭に並ぶようになりました。「梅雨」の名のとおりだな、と季節を感じます。
少し前に、梅の実を木から収穫する機会がありました。
大きな梅の実をつける木なのですが、剪定をしていないので樹形が崩れ、梅の実を全て取ろうとしても手が届かない!
脚立に乗ってまでとるほどのことでもなかろうと諦めましたが、「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」ということわざを思い出しました。言葉は悪いものですが、意味深いことわざです。
弱い桜は、剪定すると病気になって枯れてしまうから剪定してはならない。
梅は強いので、しっかり剪定しないと樹形も崩れるし実の付きも悪くなるから適した剪定が必要だ。
そこから転じて、個に応じた対応をすべきだ、という意味で使われていますね。
我が家ではポメラニアンを飼い続けていますが、それぞれ全く違った性格、癖をしています。当然、対応は変わります。
人を育てるのも同じ。
子どもだけではありません。
大人になって一つの仕事をするようになった時、先達やサポートをする立場の人が、その道で一定以上の成果を発揮してもらえるようにと指示・指導していくのも同じです。
今、どこもかしこも「研修」や「マニュアル」によって「効率的」に仕事ができるよう育成していくシステムが広がっています。共通の内容を教える時にはそれでよいでしょうが、やはり個人個人が持つ癖や、このままでは短所になるけれどもうまく生かせば長所になる、そういうところを見極めて、適材適所に回していく視点も必要です。
それは、親などの保護者、学校の先生などと共通するものであるだろうと思います。
偏食の子は育てるのが大変でしょう。でも、こんな風に考えてみたらどうでしょう。
もしかしたら恐ろしいまでに過敏な味覚を持っていて、鍛えれば将来は優れた批評能力を持つ美食家になるかもしれない。あるいは、この子を満足させるだけの料理が作れるようになれたら、私は星付きレストランのオーナーシェフになれるかも!
なんて思えば、偏食さえポジティブに考えられるようになるかもしれません。
梅の実も、漬けるのは大変です。それでも、できあがったもの……梅干しや梅酒や梅シロップがおいしいのは、手間をかけて自分で作ったからこそ。
「自分の手でやる」からこそ、愛着も沸くのです。
自分の手で育てた他人。自分の手で育てた自分。
私の手はまだ頼りないけれど、文字を通じて誰かを支える手になれるようになりたいと思います。
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こちらの事情で申し訳ありませんが、しばらくの間、週末は投稿をお休みさせていただきます。
人一人亡くなると、後がこんなに大変だとは思いませんでした……。
月曜日の投稿をお待ちくださいませ。