第三の場所って、

これ、わたし中学生くらいから、

お母さんにとってあったらいいのになって、思ってたことだった。




お母さんは、
人に弱音を吐かない人で、


ムカついたこと哀しいことも、
「でもね、あと人はきっと、
こんなつもりで言ったんだから。
悪気じゃないんだから。
むしろ善意からかもしれないんだから。」って事を言って終わらせて、
私に話してた。


(そう!だから、お母さんは、ずーっと、
私には、弱音、愚痴言ってくれてたんだよね〜。


でも、
思考で感情を打ち消した話、理性な話でおわるからかな、


わたしは、
お母さんは私には弱音、愚痴を言えてる、
っていう感覚でいなかった。


それで、わたしも、
お母さんに弱音をそのまま話すことを
意識的にしてこなかったし、大丈夫の子で話してた。


弱音、愚痴をそのまま、お母さんに言わない
大きな理由が、他にもあったけど。)


お母さんは県外からお嫁に来て、


ここはやや田舎だから、
幼稚園、学校の親同士が、


小さい頃からの知り合いって事が多い、
いまいち入り切れないって、


お母さん時々言ってた。


近くにお母さん方の親戚も居なくて。


お母さんは、
近所の年上、同世代の人と付き合ってたし、
ずっとPTAをしてくれたりしてたけど、


なんか、さみしい、心許せる人が居ないんだなぁって、

お母さんの言動から、わたしは思ってた。


それで、
お父さん、頼りないし、
気持ちわかってくれないし、ってこと言ってたし、


お母さんが、
ここに住んでる意味的な感じで、


わたしはすごく頑張らなくちゃというか、
すごく価値ある人にならなくちゃ、のような気持ちが、あった。笑笑




言葉にすると、おもしろいけど、
こういうことを、本当に感じてた。




で、
お母さんと二人っきりの世界にいる感じだから、
濃密過ぎて、


すごくたのしい、面白い反面、


お母さんは、二人っきりだからこそ、
わたしにそう言っちゃうんだろうなって感じることが、あった。


わたしは、それを気付いてる、分かってるんだから、


お母さんの言葉に傷付いちゃいけない、
お母さんはそこまで言いたくて言ってるんじゃないんだから、


お母さんのやさしい気持ちを私は感じてるんだから、って思ってた。




(お姉ちゃんが思春期にとっても痩せたことで、お母さんとっても傷付いても、悩んでて、


子ども第一でいたのに、大切で大切で仕方ないのに、お姉ちゃんに愛情が伝わらなかった、


のようなことをお母さんは言ってたから、


わたしは、お母さんの真意が伝わってるよ、って思っていて、


お母さんの言葉で傷付いちゃだめ、
お母さんの言葉の真意をちゃんと受け取ろうって、


すごくすごく意識してた。)




お母さんは、
言いたくて言ってるんじゃないことを、
言っちゃったとき、

すごく悲しそうで、

第三者が居たら、いいのになぁって思った事があった。




わたしはお母さんの言葉を
言葉通りに受け取って傷付いたりしてないから、
大丈夫だからって、けっこうよく思ってた。