2月9日から始まった舞台『テラヤマキャバレー』を観てきました。

慎吾が劇作家の寺山修司を演じる音楽劇。ほぼ前知識なしに行きましたがそれほど問題ありませんでした。寺山氏の人物像や楽曲のことを知っていたらより理解が深まったかもしれませんが。

慎吾のお芝居を観るのは『オーシャンズ11』以来かな?10年前だって…。離れていたりチケットが取れなかったりで随分と久しぶりになりました。


※以下、ネタバレを含む感想です



STORY

1983年、死を目前にした寺山(香取慎吾)の脳内では、キャバレーに集まった劇団員たちと戯曲『手紙』のリハーサルが行われていた。そこへ、寺山を迎えにきたという擬人化した死(凪七瑠海)が現れる。死ぬのはまだ早いと拒む寺山に、死はマッチ3本を与える。日が昇るまでの間、このマッチを擦ると過去や未来に行き来できる。その代わり、自分を感動させる芝居を作ってくれと。



2024.2.15(木) マチネ 13時開演、15時40分終演


寺山の夢の中を描いているから登場人物たちもストーリーもはちゃめちゃ。ゆえに、とてもエネルギーを使うお芝居と歌、まくし立てるような台詞の連続。その中で慎吾は1幕から2幕まで舞台から姿を消す瞬間が一度もない。寺山の脳内の話だから、当たり前だが彼の言動で物語が動いていく。出ずっぱりで、台詞がなくともひたすらに手を動かし原稿を書き続けている。(実際に、台本に鉛筆で書き込んでいた)

オーシャンズの時も同じことを思ったような気がしますが、慎吾は体格が良くて舞台映えするのですよね。黒の上下に黒のトレンチコートというオールブラックの衣裳。まわりのキャストの派手な装いにも負けず、むしろそのコントラストでステージを引き締める。クラシカルな舞台美術の中でも沈むことがない。


1幕では、死からもらったマッチで過去と未来にタイムスリップする。1本目のマッチを擦ってたどり着いたのは江戸時代。人形浄瑠璃『曽根崎心中』の稽古中。2本目では2024年バレンタインデーの新宿歌舞伎町へ。若者たちが持つスマホを介したコミュニケーションに「言葉がない」と嘆く寺山。なかなかカオスな光景の連続に圧倒されつつ、生バンドの演奏と歌が良いメリハリを生み、引き込まれていく。

2幕では寺山は様々な「質問」をして「言葉」と向き合う。クライマックス、寺山のコンプレックスであろう母へ質問をぶつけるシーンは本当に涙を流していました。創作することに葛藤し、終盤では想像にこそ希望があると訴える、その台詞はリアルな慎吾ともリンクするようでした。

何でもそつなくこなすイメージもある慎吾の全身全霊の姿には、自担がこんな舞台をやっていたら通ってしまうだろうなぁと。長年の慎吾ちゃんファンもたくさん来ていたと思うので、休憩中や終演後、「こんな役をやるようになるなんてねぇ」とか「これからもっと良くなるわよ」と保護者の声が聞こえてきてニマニマしてしまいました。


張り詰めた“最期”のシーンを終えて、カーテンコールでは白いコートを羽織っていつものにこやかなスマイルでした。癒し。




日生劇場の重厚感ある建物と作品の雰囲気もマッチしていてよかった。赤絨毯にときめきます。