役割意識を手放す

 
 
 
母だから◯◯しなければ
 
家族だから
◯◯するのが当たり前
 
 
 
 
 
「本当に自分がそれをやりたいのか」
 
ハートの声を聞いて
選択しているわけではなく
  
 
 
 
普通は◯◯するのが当たり前
という
エゴの声や観念に縛られ
 
自然と習慣になっていること
いろいろあると思います。
 
 
「自分」が「自分」に
制限をかけているんですよね。
 
それに気づき
制限から抜けていくのは自分次第。
 
 
 
 
 
自分が本当に自由に生きることを
受け入れ、選択するなら
 
 
同じように
 
 
周りの人たちも自由に生きることを
受け入れ
許していく必要があります。
 
 
 

 

    

 

 

ネグレクト(育児放棄)を

今の視点でどう捉えるか

 

 

 

***

 

 

 

一昨日と昨日

家族との出来事をきっかけに

 

 

ご飯を作ってくれなかった母

ネグレクトのときの記憶から

 

インナーチャイルドの寂しさ

が出てきました。

 

 

また、父が昔

子供と夫がいる女性と

不倫していたときの記憶から

 

「子供がいるのに恋愛する女性」

対しての嫌悪感や憎しみ

という感情が出てきていました。

 

 

 

 

 

 

「汝自身で在れ」

 

 

世の中の常識に囚われず

 

 

本当はやりたくないことを手放し

 

本当にやりたいことを

選択するとき

 

本当の自分自身でハートに従って

生きるとき

 

覚悟と勇気がいります。

 

 

 

真実の自分自身を生きる勇気です。

 

 

 

 

 

 

「ネグレクト」をした母を

 

今の新しい自分の視点で捉えたとき

新しいことが

初めて見えてきました。

 

 

 

↓ ↓ ↓

 

 

 

母は育児を

「やりたくない」という本音に従い

 

 

「やらない」という選択をした

すぎなかったんだなぁと思いました。

 

 

 

本来咎められるべきことは

何もなくて

 

 

誰もが本来は、自由に無条件に

生きる権利があるから。

 

 

 

旦那は外へ仕事をしにいってるから

母親が育児をやらないといけない

ご飯を作らないといけない

 

そうではなく

 

 

周りの人たちに協力を

お願いするべきだったし

相談をすればいいだけだったんですよね。

 

適材適所、、、。

 

 

 

みんなが「当たり前」としていること

常識という枠組みを

みんなで一緒に

外していく必要があります。

 

 

 

 

結局お互いの魂の学びのために

私はこの家族のもとに生まれてきましたが

 

 

またさらに今回闇がふつふつと

浮上した流れで

 

 

さらに深いレベルで「母」を

受け入れることができたと感じます。

 

 

 

世の中の「母たち」が抱えるもの

 

 

ハートの声に従い生きる選択をして

役割意識を手放す

 

というテーマをじっくり

感じることができました。

 

 
 
私もそうでしたが
 
それで傷つく人たち
傷つく子供がいたら
 
それはその人たちが向き合い乗り越える
本人たちの魂の課題なんですよね。
 
  
 
「自由に生きる」
そして
「自由に生きることを選択する自分を許す」
という母の魂の課題と
 
 
「自由に生きる母を許す」
という魂の課題がある子供
 
 
それぞれ課題は別ものです。
 
 
課題を切り離し
相手の魂の課題を奪わず見守る。
 
相手が乗り越えられるよう信頼して
自分の魂の課題に集中しましょう🙌✨