春分以降立て続けにイニシエーションが起きて、

内なる二極のバランスを取ることと、

とことんエゴを削ぎ落とし本質に気づいていく流れに入っています。

 

ここ数日「陰・月🌑の自分」労りモードということで….


大量の人の中に出れない

大量に人がいる駅無理!(⁠*⁠・⁠~⁠・⁠*⁠)という状態で、

外に出たくなくて・・・旅もストップしてます。

 

さて、先日、子守大明神の謎を追って子之神社を訪問し、

宮司さんとお話してきました。その続きです。

 

 

 

子守大明神→
籠守大明神→お籠もり→

古代巫女・シャーマンは、

「籠もる」ことで自分のエネルギーを守ったり

調整したり霊感を高めたり

神仏とやりとりしていたらしいです。

 

子守大明神とは

「籠もる空間に降りてきていた神様」のこと。

子守→子宝などのご利益はあと付けとのこと。

子守大明神は「役行者」が

セットできていたキーワードでしたが、

 

役行者がサインでくるときは

「シャーマン、巫病」が別で一緒にサインがきていたので、

納得のエピソード。


役行者も山籠りしていたし。

悟りを開く人たちは「籠もる」という共通点があります。

 

子守大明神の土地に行くとき

吉野と関東の子之神社それぞれに行くとき、

 

なぜか、

前後の数日間、家から出たくない・・・という流れでした。

ちなみに今も続いてます(⁠・⁠_⁠・⁠;⁠)


なので、「子守→お籠もり」の話を

子之神社の宮司さんから聞いてびっくりでした。

 

籠もる、ことには意味がある、

ということでした。

全てが陰陽のリズムなので、

 

陽=人は進みすぎるとバランスを崩す。

進みすぎず、ほどよい段階で内側に籠もり

「陰」モードでバランスを取る。

現代人は進み続けること、

頑張り続ける選択でバランスが崩れます。

内なる陰陽のリズムを意識してください。

エネルギーチャージの時間ですね。

 

私も、その陰陽のバランスをとことん感じて、

対極の中でバランスを

取り続けることを学ばされているなぁとつくづく感じます。

 

昨日目に入ったマグダラの書の一文↓

ある時は全能に感じ、またある時は無能の感覚を覚えます。

 そしてイニシエートは必ずこの2つの感覚を通過しなければなりません。
イシェア(キリスト)は 何度か この2つのフレーズを使って

彼がこのパラドックスの真っ只中にいることを 

イニシエート仲間である私に話しました。

ある時 イシェアは「私と父とは一つである」と言います。

またある時に彼は「父なしには 私は何もできない」と言います。
これは イニシエートのプロセスで起こる動揺です。

イニシエートは、

自分とスピリットの源とのつながりの強さを確信する 一方で 

スピリットなしに 自分は何もできず 

何者でもないことに気づき その現実との間で揺れ動くのです。

 

 

キリストでもそうだったんだ!と改めてびっくり。

これが、自我と真我のバランスをとること

内なる二元性(陰陽)のバランスを取り、

統合していくこと。

 

上(高次元)に繋がれば繋がるほど、

下(目を背けたい領域)にも繋がるため、

バランスを取らなければいけません。

 

「陰」から逃げ「陽」しか見ない、

というのがいわゆる「魔が入る」状態なのかなと思います。

「陰」に飲み込まれることが

「魔が入る」ことではありません。
「陰」に飲み込まれなければ

「真我」の光に気づけないからです。

「魔が入る」というのは

「陰」を見て見ぬふりし受け入れない姿のことかと思います。

陰陽が統合されてないことは

「自分自身を見失っている」状態だからです。

 

陰陽のバランスを取ることが

悟りへ向かう人=イニシエートたちの課題のようです。