なんで私は生きているんだろう?
なんの為に生きていなきゃいけないんだろう?
そんな事考えることありませんか?

意味なんてきっと無いんですよねー
どうせ生きてるのならルールの範囲で自分なりに楽しんだ方がいいんじゃねーって思うんですよねー
きっと、あなたを愛する人達も皆あなたの幸せを願っています。よく、笑顔は伝播すると言いますがそういう事なのです。あなたも笑顔の発信者になりましょう。



どうも、加藤です。
冒頭、何故こんなメンヘラ女みたいな文を書いたかというと読んでる本に超影響されたからです。

僕は結構深く考えないタイプなので、こんな感じで適当に楽しく生きています。



さて、前回の続きです。

色々紆余曲折しながらも馬鹿大学生ふたりはなんとかアイドルグループのデビューに漕ぎ着けました!

名前は"うりゃおい!JAPAN"
うーん!馬鹿っぽい!

そんなグループが遂にお披露目ライブを迎えるわけですが、全員アイドル未経験のメンバーで構成されたグループがお披露目でどうやってお客さんを呼んだのか。


結果から言うと超満員でした。
有り得ないレベルで人が入っておりました。


僕たちはただ、宣伝しても人が来ないだろうと思い、色々考えました。
と言っても変わったことは結局出来なかったのですが、、、、

ビラ配りをしました。とにかく。
あとは、大名行列とかもやりました。
これは、ビラ配りでついてくれたファンの方々と一緒に列になって原宿竹下通りをビラ配りしながら歩くというものです。

意外とこれが反響があって、外国人の方や一般の方も写真撮ったりビラもらってくれたりして楽しかった覚えがあります。


メンバーはその裏でレコーディングや振り付け、レッスンなどに励みます。
そして、ついにデビュー!!

何人来るのか一切わからない状態で始まったわけですが、開場するやいなやすぐに会場は満員になりました。
前物販からグッズはアホほど売れ、最高のスタートを切ったのです。


ただ、デビューライブの出来は完全におゆうぎ会でした。
僕らも初めてなのでどのレベルまで仕上げるべきなのかも分からずこれで大丈夫っしょ!
最高!ぐらいの勢いでデビューライブを迎えたのですが、まあひどかったです。
というか、Twitterのファンの方々の反応を見てやばかったんだなあと思いました。


ただ、そんなグループにもファンはつきました。
初めての対バンでも動員1位を記録し、すぐに大きな会場のイベントにもお誘い頂きました。

当時は新宿ReNYやTSUTAYA O-EASTなどを平日でも毎回満員にするイベントがありました。

そのイベントに出ることをまず目標にしよう!
としていたのですが、割とすぐあっさり決まってしまったので、正直当時は"超イージーだな"。と思っていました。


ただ、そんなグループに悲しい出来事が起こります。
年末に出演したイベントでフロアにほぼ人がいない状態のライブを経験したのですが、デビューライブから満員を経験しているメンバーはその光景に耐えきれず、楽屋で号泣。
励ましはするものの、超イージー脳の僕らもその状態にてんやわんや。超無能運営です。


もちろん、そのメンタルではメンバーもなかなかキツかったのでしょう。
"やめたい"、"休みたい"の声が徐々に上がってきました。
それでも、なんとか持ち直し新しい年がスタートしました。


ちなみに、今のところアイドル運営をしていた中で3本の指に入るレベルで上の出来事はキツかったです。
僕らはめちゃくちゃメンバーのことが好きで、活動も楽しい!と思っていたのですがメンバーはそんなこと無かった!と知った瞬間僕らはかなり絶望したのを覚えています。


本当に悲しかったです。
当時はそんな事にも結構一喜一憂していたので、めちゃくちゃメンタル削られてました。

冒頭にも繋がりますが、なんのために生きてるんだ?なんの為に頑張ってこのグループ作ったんだっけ?状態になっていました。

今思えば、仕事として完全に失格です。
メンバーのモチベーションのケアもできず、それといったアドバイスも出来ないダメ運営のグループはなかなか人気が伸びませんでした。


ただ、そんな絶望寸前のグループにも一筋の光が見えます。
次回!
"天才!?音楽プロデューサーSayaとの出会い"


というか、今回の記事めちゃくちゃ暗いですね笑
でも、そうなんです。
本当にきついことしか無かった。
お披露目ライブ以外はほぼほぼキツかったです。
毎日メンタルと体力すり減らしてました。
それでも、自分らで決めた目標や夢の為に日々頑張りました。

今でこそ、充実した環境でグループをプロデュースできていますが当時は本当にただの大学生ふたりでほぼ運営を行っていたのでなかなか上手くいかない事だらけだったんです。


仲のいい若い運営の方は何人かいましたが、僕らの環境は圧倒的にレベルの低いものでした。
それでも何とか背伸びして、同じ対バンに出て、同じように新曲や新衣装を作るためにまたバイトしてお金を貯めて作って。
そして、メンバーには到底多くのとは言えないものの給料、そして交通費を払って。

僕らはほぼ無休アンド無給でグループの為に動き続けました。
きっとこの踏ん張りが次の何かに繋がる!!と思って涙をこらえながら日々努力しました。

どうすれば、もっといいグループになるのか、どうすればもっと多くの人にライブを見てもらえるのか。

これは今も同じですが、そう簡単に答えは出ません。自分らのできる範囲の中で最善の方法を選び、実行して。アイドル運営ってすごく面白くて、コレだ!!と思って打ったプロモーションの反応がすぐに来るのでよかった時もあまりウケなかった時もすぐ分かります。
もちろん、コレ!って思って行ったプロモーションのウケがいい時はすごく気持ちいいです。
が、意外と自分らではあまり考えていなかったことが地味にファンの方々には刺さったりすることも多々あります。
アイドル運営の楽しさって結構ここにあるんじゃないか?と僕はずっと思っています!


そして、次回は今もずっと仕事を一緒にしている、サウンドプロデューサーSayaさんとの出会いや奇跡などを話したいと思います。

今回のブログは少し暗い感じになってしまいましたが、次回はなるべくハッピーな内容にできるかと思います!Happy New Days!!

それでは!また今度!