北新地河庄の段 中(通称:口三味線)
令和元年九月
心が心とゞむるは門行燈の文字が関、浮かれぞめきの仇浄瑠璃、役者 物まね 流行歌 二階座敷の三味線に、惹かれて立寄る客もあり、紋日逃れて顔隠し仕過ごしせじと忍び風、橋の名さへも梅桜、花をそろへしそのなかに、南の風呂の浴衣より、いまこの新地に恋衣、紀の国屋の小春とて、この十月に仇し名を、世に残せとのしるしかや。
今宵は誰か呼子鳥、おぼつかなくも行燈の影、ゆきかふよねの立止まり
「ヤ 小春様か、なんといの。気色が悪いか。顔も細り、いかうやつれさんしたなう。オヽほんにこの中誰やらが話で聞けば紙治さんゆゑ、うちからたんと客の吟味にあわんして、どこへもむさとは送らぬの。イヤ太兵衛様に請出され、在所とやら伊丹とやらへ行かんす筈とも聞き及ぶがどうでござんす」
「アヽコレ 伊丹々々といふて下さんすな。それで痛み入るわいな。いとしぼなげに紙治さんと私が仲、さほどにもないことを、あの贅こきの太兵衛めが浮名を立てゝのいひちらし、客といふ客はみな退き果て、うちからは紙治さんゆゑぢやと モ せくほどにせくほどに、文の便りも叶はぬやうになりやした。不思議に今宵は侍客で、河庄方へ送らるゝがかう行く道でもし太兵衛めに逢はうかと気遣ひさ。ホンニもう敵持同然の身持ぢやわいな」
「オヽそんなら ちやっとはづさんせ。アヽアレアレ、一丁目からのんこに髪結うて野良らしい伊達衆自慢といひそな男、確かに太兵衛様と見た。アレ/\こゝへ」
と言ふに小春は
「オヽ好かん。アヽコレこなさんそこへ頼むぞえ」
「オヽよかろ/\こゝへ太兵衛様が見えたらばわしがちよぼくさ。サヽヽヽこの間に行かしやんせ」
と、覆ひになつたるその隙に、人立ち紛れにちよこちよこ走り、とつ河内屋へ駈込めば、
「オヽこれは/\マア/\はやいお出で、ホンニお名さへ久しういはなんだに、ヤレ/\珍しい小春様はるばるで小春様」
と、主の花車が勇む声、
「アヽコレ門へ聞える。高い声して小春々々といふて下んすな。表へいやな毛虫客が来るわいな、密かに/\頼みやす」
と、いふも洩れてやぬつと入り来る二人連。
「アイヤコレ小春殿。毛虫客とはよい名をつけて下んした。まづお礼から言ひませうかい。ヤ コレ善六われも知ってゐるこの小春。やがて太兵衛が女房に持つか、また紙屋治兵衛が請出すか、張合ひの女郎ぢや、マア近付きになつておきや」
とのさばり寄れば
「エヽ聞きともない/\/\得知らぬ人の浮名を立てゝ手柄にならば、精出して言わんせ/\。この小春は聞きともない」
と、つひと立てばまた摺寄り、
「アヽコヽヽヽ聞きとむなくとも へヽヽヽ 小判の響きで聞かせて見せう。ガまた貴様もよっぽど因果者ぢやわい。天満大坂三郷に、男も多いに紙屋治兵衛二人の子の親、女房は従弟同士男は伯母聟あいあいに問屋の仕切りさへ追はるゝ商売。それにまあ十貫目近い
「エヽなにをしやんすやら。今宵のお客はお侍衆、追付けこゝへ見えませう。お前はどこぞ脇で遊んで下さんせ」
「ヤ侍客ぢや。侍なんぢやい/\。へヽなんの刀差すか差さんか、侍も町人も客は客ぢやわい。なんぼ差しても五本六本差すまいし、よう差して刀脇差たつた二本ぢやい。二本差が怖いかい。二本差が怖けりやなア、田楽屋の門を通れんぢやないかい。ハヽヽヽイヤコレ花車。この頃仲衆仲間のはやり文句、コヽヽヽ小春もよう聞きや。ヤコリヤ善六そこへ まア われ覚えたとほり、やって見い」
「ヲット承知の助ぢや。やる/\。ガ素ではちっと間が抜けてやりにくいな。ムヽ太兵衛様。おまはんあの、ずるてんあしろうてんか」
「エヽずるてん、ヲヽヨシ/\ムヽ幸ひこゝに箒がある。これでやってやらう」
「ウヽ箒。ハヽヽヽえゝ三味線ぢやな。アドレドレちよつと拝見をいたさう。ヨオしゆろ胴に竹の丸棹とけつかるわいハヽヽヽ」
「サア/\みなに聞かすのぢや。精一杯に張込んでしつかりやつてくれ、/\/\」
「そんなら一寸調子聞かしてんか」
「ヲットこんでる/\」
「マア、
「ヨシソリヤ、一ぢやぞ。ドン、/\/\/\」
「御堂様の太鼓のやうな音ぢやな。アハヽヽヽサア、そんなら、
「ヨシ/\トン、/\/\/\」
「ア茶屋の段梯子登つてゐるやうな音ぢやなアハハ、
「ヲツト三ぢやな、アテン/\/\/\」
「アまるで紙屑屋のおんごくちやがなハヽヽヽ。しかし一寸口上言ふは口上を。エヘン/\エヘン東西々々この処にて語りまするは、紙屋治兵衛、紀の国屋小春、つまらん菊浮名の蜆川。相勤めまする太夫、竹本善六太夫。三味線さぐり沢太兵衛様。東西々々々々々、チョン/\/\/\」
「アペン/\ベンベンペン/\/\ペヽンペヽペン/\ペンペヽンペンボン」
「結ぶの」
「ペン/\/\/\ペボン/\/\ヤペンポペンヤペヽヽヽ」
「神の紙屑に貧乏」
「ポコペン」
「紙屋のンヤ治兵衛の女房のおさんに子のある、その子の痍たれお末に勘太郎」
「ヲットドッコイテン/\ツンシャン」
「すそ貧乏小春に命ちり紙の紙衣姿ぞやくたい紙」
「チャチャン/\/\/\。ヲット善六もうよいもうよい/\、小春殿。なんとよい文句であらうがの」
と、悪口雑言、堪ゆる小春。
門にも忍ぶ侍客、物をも言はず内へ入り、太兵衛が胸ぐら捻上ぐれば
「アイタヽヽヽヽコリャなんとしをる」
「イヤサなんともいたさぬが、この大小が目にかからねば明き盲も同然。赦しにくい奴なれども、ところがらゆゑ赦してくれる。とっとゝ失せう」
と、突飛ばされてへらず口、
「エヽ忌々しいわい/\/\。イヤコレ善六これから一遍ぞめいて来たろ。どこぞではナソレ、いまの紙屑めに逢はうも知れまい。エエうぢ/\せずと サア来い」
と身振りばかりは男を磨く町一杯にはだかって、打連れてこそ帰りける。
所柄とて馬鹿者に構はずこらへる武士の客、紙屋々々とよしあしの、噂小春が身にこたへ、思ひくづをれうっとりと、無挨拶なる折節にうちより走って紀の国屋の杉が、けうとい顔付にて
「たゞいま小春様送って参じた折、お客さんまだ見えず、なぜマアとっくり見て来んと、ひどう呵られます。慮外ながらちよつと」
と差覗き、
「ム、そうでない/\、気遣ひなし。後詰めてしつぽりと小春様、したゝる樽の生醤油。花車様さらば、のちに青菜のひたし物」
口合ひたらだら立帰る。至極堅手の侍大きに不興し
「コリャなんぢゃ。人の顔を目利きするは、身を茶入茶碗にするか。アヽなぶられには来もうさぬ。この方の屋敷は出入りかたく、一夜の他出も留守居へ断り帳に付け、むつかしき掟なれども、お名を聞いて恋ひ慕うたお女郎。なんでも一生の思ひ出、お情に預からうと存じたに、いつかなにっこりと笑顔も見せず、一言の挨拶もなく、懐で銭よむように、さて/\うつむいてばかり。イヤナニ、首筋が痛みはいたさぬか。コレ、小春殿々々々。ハヽヽヽなんと花車殿。茶屋へ来て産所の夜伽することは、モつひにない図」
とつぶやけば
「オヽいわくを御存じないゆゑにお腹の立つはお道理/\。この小春様には紙治様と申す深いお客がござんして、今日も紙治様、あすも紙治様とわきからは手ざしもならず。ほかのお客は嵐の木の葉でばら/\/\、登りつめたる揚句にはえて怪我のあるものと、せくはどこしも親方の習ひ。それゆゑお客の吟味、おのずと小春様もお気の浮かぬはお道理。お客も道理。道理々々のなか取って、主の身なれば御機嫌よかれが道理の肝心かんもん。サァどっと呑みかけわさ/\わっさり頼みやす。コレ小春様はる様」
と言へどもなんの返答も涙ほろりの顔振上げ、
「アノお侍さん。同じ死ぬる道にも、十夜のうちに死んだ者は仏になるといひますが定かいなァ」
「それを身が知ることか。ソリャ旦那坊主にお問ひなされ」
「ムヽホンニそんなら問ひたいことがあるわいなァ。自害すると首くゝるとは定めしこの咽を切るほうが、たんと痛いでござんせうな」
「ムヽ痛むか痛まぬか切っては見ず、大方なこと問はっしやれ。ア小気味の悪い女郎ぢや」
と、さすがの武士もうてぬ顔、
「エ、小春様初対面からあんまりな御挨拶。ちつと気をかへ奥で洒にいたしませう」
「いかさま、洒はよくござらう。ヤナニ小春殿。お来やれ/\」
「オヽかた。サテ小春様。お出でいな。ソレ奥へお銚子持つておぢや」
と高い調子は合はねども、
引立てられてぜひなくも打連れ