今日は患者さんに朝ご飯の提供をする日で、みそ汁をよそっていたところ
瞑想特有の意識状態に脳が切り替わっていることに驚きました。
結果的に「丁寧に心を込めてよそった」となるのでしょうが。
そういう想いも特に意識せずに、ただよそう動作からそんな気分になっただけで。
禅宗で修行している坊さんは「日常生活そのものが禅で修行」だそうです。
その日常生活をどれだけ丁寧に過ごし、身体から沸き起こる本当の意味での「感謝の心」を持つことなのかなと。
この「特有の意識状態」になると、心が静かになり情動に囚われなくなります。
ひとつの作業に集中し、周りの音が気にならなくなる事は誰でも経験があるでしょうが
その状態がどんな時も続いている。これが理想です。
そして気づいた事があって、この没頭している体感が心地よくて知らぬ間にここに意識を持っていく事が目的になりやすいということ。
瞑想の目的はその状態から「どう行動するか?」です。
雑念に囚われなくなって自分の頭で「どんな人生を歩もうか?」と考える事です。
ただ、前半にも書いたとおり丁寧な日常生活を送ること、そのものが「人生を変える」に繋がるのではないか。
そんな事も考えたりしますね。