こんにちは
ブログをみていただきありがとうございます。
今日は流産の記事を前に書いたので
入院や手術のことを書こうと思います。
流産したのは丁度一年前になります。
気持ちの整理がつかず、ブログにも書けず
とにかく辛くてやっと一年後にこうして
書いています。
流産て、心にも体にもダメージが大きすぎて
自分が経験してきた辛いことの中でも
正直ら離婚より辛かったかなぁ、^_^汗
妊娠や出産ということは本当に奇跡的な
ことだと心から思います。
手術や入院のことを一年後に書くとなると
結構記憶が曖昧なところはありますが
とくに印象が強かったことや、心境は非常に
覚えてるのでこんな感じなんだなと
思っていただけたら、、、
流産確定した段階で、すぐ入院の案内がありました。淡々としすぎて気持ちが追いつかず、
涙を流す暇も無かったのを覚えています。
入院日は、9時までに来院し、窓口で入院手続き
麻酔科受診手続きをしました。
病院まで1時間15分はかかるのでマイペースな
わたしにとってこれまた地味に
しんどかったです
とにかく大学病院は待ちが長いからいつも
お尻が痛くなる泣
自分の体質は血が止まりにくい難病なので
何回か血液検査があったのを覚えてます。
入院部屋は4人部屋で、とにかく周りの音と
いうか、機械を作動していないといけない
状態の身体の方もいらっしゃいますし、
その各々担当の先生がきて、どういう状態なのか
説明されていくのですが丸聞こえ!
聞いてはいけないんじゃないかと思う深刻な方も
いたりで自分だけが辛いんじゃなくて
みんなみんな頑張ってるんだなとしみじみ
ここで役だったのがノイズキャンセリング機能の
あるイヤホン!ほんっっっとに助けられました!
夜中はただでさえ寝れないのに機械の音だったり
自分はすごく気にしてしまう方なので
無音は有り難かった泣
無音が寂しいときはゲームをしました。
私はこれを購入しました!Boseに限らず
我が家にワイヤレスは一つしかないので
今狙っているのはこれです!
なんせBoseに比べお手頃価格だし
性能もいいと書いてある!
購入件数もレビューもすごいので
気になってましてまた購入したら
レビューします!
話がちょっと脱線してました。
他の持ち物は
生理用ナプキン(大)3枚
昼用夜用ナプキン各3枚
歯ブラシ
スキンケア道具他
お金
携帯
充電器
下着3セット
フェイスタオル
(バスタオルとかタオルは
たしか支給だったかな、ごめんなさい)
入院時の服は病院支給でした
スリッパの記憶がないですが確か一応
簡易のスリッパは持ったはず!
病院内ではコンビニがありましたので
そこでお菓子やらスープなど買って
1人寂しく食堂で食べてました。
(ちなみに色んな思いがかけめぐり、泣きながら
たべてました)
そしてなんだかんだ忘れ物があっても
コンビニで揃うという、、、コンビニ無敵
入院してまずは事前処理、
若くて綺麗な看護師さんが担当してくださいました。
私の住んでいるところに友達がいるらしく、
どうも聞いていると繋がっていることが発覚!
そんな中で手術に邪魔にならないよう下の処理を
してもらいなんとも勝手に気まずい気持ちに、、、
担当の先生にもう一度お腹の超音波検診を
してもらいました。正直ここでもまだ
心拍が復活しているんじゃないかと淡い期待を
していました。ただ検索魔になっても復活した
事例はなかったです。悲しかった。
ついでに検索しているとラミナリア?が痛いの
どうのと書いてあって入院して知る!!!
事前処置があるとは聞いていたが痛いとは
いざ担当の先生に入れてもらいましたが
個人的には生理2日目くらいかな?という感じ、、
(生理痛は酷くないほうです。)
個人的に一番痛かったのは全身麻酔の針を
腕に刺すときでした。全身麻酔の針は普通の
注射針よりも太いらしくしかも長い
刺すまでは良かったがその後にグググっと
入れるんですがまたこれが痛くて入らない
最初の方が3回くらいチャレンジし、次の
ベテラン看護師さんも2回くらい失敗、
血管がまっすぐじゃないというかちょっと
複雑なのかな?と言われもう痛すぎて脂汗が
止まらない
結果、針のサイズが下がりました…。
最初からそれでいいのにと思いましたが、
麻酔の効き目が悪くなるのかなと。
(ただでさえお酒大好きだから麻酔効きずらいんじゃないかと心配してるのに、、、)
片手の酷かった方の注射の跡の写真アップします、
ちょっとだけ
グロテスクなので苦手な方ごめんなさい
一度入院したときのメニュー画像と
画伯、注射針画像をはさみます
↓
これは退院した後で治りかけなので黄色くなって
ます。人間の治癒力は素晴らしい
とにかくこの記憶が強くて未だに
しっかりトラウマです。ちなみに腕の内側じゃなく
外側の注射は神経が余計しっかりしてるのか
特に痛かったですw
1人目出産時は胎盤剥離してその時は
両足にも注射針がついてたけど
いつやったのかも記憶がないくらい
怖い出産でした。また剥離については
詳しく書きます。
過酷な絶飲食にも耐え、痛みにも耐え、
いざ手術になったとき
麻酔科の先生が和やかな方で
気持ちが楽になりました。
さすがプロといったとこですね。
始めますねといって頭とかにもペタペタ
なにかを貼られ酸素マスクをして
知らない間に手術も終わっていました。
やはり子宮の収縮は10週くらいまで
きていたので術後はもう赤ちゃんが
いないんだという心の痛みとともに
子宮も痛みました。
幸い凝固剤も入れてもらっていたおかげか
大量出血にもならず手術を終えることができました
一応様子見で一日入院し、次の日退院しました。
まず退院してお疲れ様ということで
スターバックス
カフェインも赤ちゃんがダメになったとしても
飲まなかったのでようやくここで
カフェイン摂取!
きっと忘れ物があったからとりに
もどったんだよ
と、友達にも励まされその言葉を信じて
また来てね!と空にいる赤ちゃんに
思いを伝えました
曖昧な記憶と自分の印象の強かったところだけ
書いているので分かりにくい内容でごめんなさい。
まずは私がどういう人間なのかを
知ってもらうべく
次は1人目の壮絶出産超ハイリスク出産と
言われたエピソードを書きます
早期胎盤剥離がどのような感じでなったのか
また見てください。
みていただきありがとうございました。