昭和19年12月13日以降、米軍は名古屋の軍需工場を目標に大規模空襲を繰り返し行った。

 そして、翌年1月13日、三河地震が起きる。大きな被害を出したが、東南海地震同様、「隠された震災」となった。

 

 同年3月12日、日光川をさかのぼるようにアメリカ軍の戦闘機が次々と低空飛行をして、焼夷弾攻撃を敢行した。

 真夜中の0時過ぎ、空襲警報が鳴り響く。警報とほぼ同時に飛行機のエンジン音が聞こえてきた。

「勇作、起きろ!」

庭先の防空壕へと家族がもつれ合うように走る。

(明るい…)

 勇作は焼夷弾に照らし出された外の景色を見て、夢の続きかと思った。

夜が明けると、防空壕の外から安否を確認し合う大人たちの声がする。

辺りを見回すと、そこには焼け焦げた臭いが漂う現実があった。

 蟹江は名古屋への通り道に当たるのか。寝入った頃に空襲警報のサイレンで起こされ、防空壕へ走る夜が続いた。

そんなある日、勇作の妹、君子が高熱を出した。