日本国民から基本的人権を取り上げる算段が、自民党案第12条です。
第11条で保障された基本的人権を骨抜きにする案文です。
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(国民の責務)
第十二条(自民党案)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
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第十二条(現行憲法)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?
【自民党の答】
従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
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公共の福祉は意味が曖昧と書きながら、学説を示していますが、自民党はこの学説に反対という意味でしょうか。この点が書かれていません。
この学説では、国民が持っている自由と権利は「公共の福祉」のために利用されるもの、使用されるものである、そして、その自由と権利に制約がかけられるのは、人権相互の衝突が起きた場合にのみ制約されるのであって、「公益、公の秩序」によって制約を受けることはない、という意味であり、素晴らしい内容であり、分かりにくいところなど一つもありません。
先の憲法第11条のところでも書きましたが、自民党は基本的人権を規制しようとしています。「公益、公の秩序」によって規制する、とここでははっきりと書いています。
「基本的人権とは、人が人としてあることに伴う根本的な権利、侵すことも規制することもできない権利である」
これでは自民党は困るのです。解釈が曖昧だから変えるのではありません。人民を奴隷にできないから、独裁政治を行うことができないからです。
また、「なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。」と解説にありますが、先に強行採決した共謀罪法は、まさしく「反国家的な行動を取り締まる」法律です。
この共謀罪法を実行するためには、憲法12条は邪魔なのです。なにしろ、共謀罪法は公の秩序を乱す者と勝手な理屈をつけて、自分に逆らう者を罪人に仕立て上げることのできる法律です。
人権が守られたら、共謀罪法の意味がありません。自分に逆らう者ならば、たとえそれが正義であろうとも、罰するに何ら根拠がなくとも、逆らう者と烙印を押して抹殺してしまうのが共謀罪法です。
この共謀罪法が、人権よりも公益が優先する事態で悪用されれば、正義が行われることはなくなります。
共謀罪法とこの憲法12条の改悪は連動しています。
憲法第11条の基本的人権の解釈と、憲法第12条の基本的人権の位置づけは、民主主義、立憲主義、平和主義の日本国において、最高の規範であり、日本国民の最も基本的な権利条項です。これを変えてはなりません。
日本国民は自由及び権利を、不断の努力によって保持しなければならないのです。
日本国民は、日本国憲法の中で「国民の責務」を規定し、その条で「自由及び権利を濫用しない」と誓ったのです。そのことを為政者があれこれ言うのは何かの企みです。
都合が悪いのは、基本的人権に基づく自由と権利です。絶対的な権利を剥奪しなければ、独裁政治はできないからわざわざ口を挟むのです。
これを変えようとするのは、国家に対する、日本国民に対する反逆行為です。