A-1.【2020.5~】意図せぬ断酒で重度のアルコール依存症を発症 | 息子がアルコール依存症になった日・・・母の記録

息子がアルコール依存症になった日・・・母の記録

息子が重度のアルコール依存症になり、相談した元夫(父親)も程度は違えどアルコール依存症とわかり私の苦しみは何倍にもなった。

2020年4月~5月は最初の緊急事態宣言でコロナ自粛。

会社の仕事も交代制勤務になり休みが長くなったようでした。数か月前には貧血や腰痛がひどいと言って時々電話をかけてくるようになりました。

  • 5月12日携帯を無くしたと言って公衆電話から連絡が入る

    「腰痛がひどく、痛み止めが効かない・・・自律神経がおかしい・・・一度東京に帰ろうと思う」

  • 5月13日、体中が痛くなり、深夜コンビニに駆け込んだそうで救急搬送され、腰痛の薬の副作用という診断で10日間の入院。コロナで面会できないため私は東京の自宅にて待機。

  • 5月23日、退院予定日と聞いていたが連絡なし。
  • 5月24日、私から病院に連絡し「退院した」と聞く。(なぜ連絡しなかったんだろうという疑問。)
  • 5月25日、一人暮らしの神戸のマンションへ訪問。10日間の入院で8キロくらい痩せていた。貧血もあると言う事で、血や肉になるような食料をたくさん買っていく。IHのコンロは一度も使ったことがなくお湯さえ沸かしたことがない、大きなベッドだけでいっぱいの独身男の部屋だった。
  • 5月26日、比較的元気そうだったが、腰痛がひどいと言うので一晩中マッサージをして、ストレッチを教えて、私は自営の仕事のため、まずは1泊でいったん東京に帰ることにした。駅の近くで喫茶店に入り駅まで送ってくれた。
  • 5月29日、ふたたび神戸へ・・・5.26にはこのまま良くなっていくと思っていたのに、部屋に入って驚いた。横たわってばかりでベッドから動かない。ストレッチもしない。公園に散歩に行こうと誘ってマンションの下に降りたが、そこから一歩も動かなくなる。部屋に戻ってもお風呂にも入らない。夜は腰が痛くて眠れないのか時々奇声を発する。一人にしていた27日28日に一体何があったのか?
  • 5月30日、相変わらず動かない。こんな状態を見たのは初めてだった。近所にかかりつけの病院があると言うので行ったが主治医はおらず、一応自分で歩いて行けたので大事ではないと帰される。この晩も眠れないとのことで一緒にお酒を飲んだり音楽を聴いたり、マッサージをして過ごす。
  • 5月31日、翌朝起こすと様子がおかしい「ちょっと待って・・・今戻ってくるから・・・」と少し変な事を言ったきり目は空いているが意識がないようなうつろな状態。呼びかけても問いかけても反応しない。私はパニックになって救急車を呼ぶ。病院で小一時間待つと医者から「急性アルコール中毒」と伝えられた。脳に異常はないと言われ一安心。アルコールを抜くために1泊入院と言う事になった。本人曰く酒飲みにはよくあるブラックアウトだとか。コロナで付き添いはできないのでいったん東京に帰ることにした。
  • 6月2日、三たび神戸へ。部屋に入っても気づかないほどぐっすり眠っている。起きると記憶障害(突然1歳のころの話をしたりする)など話がおかしい。

    この日からどんどん様子がおかしくなっていった。

※ 二十歳頃からお酒を飲み続けて初めての10日間入院が、初めての【意図せぬ断酒】になったようです。入院したのは内科なので離脱症状の対応もされずに相当苦しい入院生活だったと思います。コロナ自粛と腰痛の長い休みで、やることもなく、酒量も増えていたのだと思います。当然私もその時は【アルコール濃度が下がった時の離脱症状】は知りませんでした。息子が私に退院したのを知らせなかったのは、早く一人になってお酒を飲みたかったのだと後になって思いました。「退院後はセーブしながら飲んだ」と言っていましたが嘘でしょう。アルコール依存症者は飲んだ量を過少申告します。断酒後の再飲酒はとても危険です。そして急性アルコール中毒になった。
かかりつけの内科で診断されていた【原因不明の極度の貧血】は、お湯も沸かしたことがない一人暮らしの部屋で、食べることもせずにただただお酒だけを飲んでいたせいだとわかりました。

かかりつけの内科主治医にもわからなかった原因が、この時、母にはわかりました。
それと同時に、ほおっておいても何でも一人でちゃんとやると思っていた長男のこと、
私はとても過信していたんだ・・・ということにも気づきました。