HATSUKOI 1981
    
  第10話  進展 
    

 次の日から洋平は、以前と同じ時間のバスに戻した。一番後ろの席に座り、窓を開け、通りを眺める。自転車で通う友達も、牛乳屋のおじさんも、近所のおばさんも、前と同じようにあいさつしてくれる。となりには博と義人がいる。『ゆでだこオヤジ』のバス停で由美が乗ってくる。そして微笑みながら手を振る。それに答えて手を振る。すべてが元通りだ。でも何かが違う。ジョギングの成果が出てきたのか、『ゆでだこオヤジ』は少し、ほんの少しだが体がしまっていた。が、そういうことではない。色を失っていた洋平の目に色彩が戻ってきただけではない。あいにく今日は、雨が降ったり止んだり、灰色の鬱陶しい天気にもかかわらず、昨日までとは、まったくの別世界だった。バスの横を通り過ぎていく傘や、子供たちの長靴、水たまりの波紋、窓を伝うしずくまで、すべてが、キラキラして見えた。

 日曜日、また閉店時間ちょっと前に楽器屋を訪れる。店員たちが何か意味ありげな笑みを浮かべて迎えてくれる。今日はピックじゃなくギターの弦を買う。先週の日曜日、家に帰って、何かうれしすぎて、浮かれてギターをかき鳴らしていたら、弦が切れてしまったのだ。学校帰りに買いにも行けたが、日曜日じゃなきゃいけなかった。店に行く明確な口実が必要だった。彼女に会いたい。会って話がしたい。彼女のことをもっと知りたい。目的ははっきりしているが、それを遂行するためには、それ以外の条件はすべて疑いようの無い明白なものである必要があった。『弦が切れたから、新しい弦を買いに行く』、こんな完璧な口実を利用しない手は無い。別に店員たちがそんなこと質問するわけは無いが、由美に聞かれたとき堂々と説明ができる。そこは洋平にとって大事なのだ。弦を買っていると、着替えた由美が現れた。

「やあ。」

今日は積極的に自分から声をかけた。

「こんばんは。」

にっこり由美が微笑む。洋平が会計を済ますと、当然のようにとなりに来て、店員たちにあいさつする。いっしょに店を出て、バス停へ向かう。由美は弦について何も聞かなかった。せっかく準備した完璧な口実も意味が無かった。ちょっと残念な気がしたが、今日の洋平は積極的だ。由美が話し出す前に、何でもいいから話そうと、ふと思いついた疑問を聞く。

 

「ねえ、白菊学園って、バイト禁止じゃなかったっけ?」

ちょっと戸惑ってから、由美が答える。

「うち、母子家庭だから… 家計の足しに、ね。」

思わぬ答えにびっくりして

「あ、ごめん。悪いこと聞いちゃったね。」

「ううん。気にしてないでください。

 あの店おじさんの店だし、

 特別に学校から許可もらってるんです。」

「そうなんだ…」

ちょうどバスが来て、乗り込む。席について、洋平は話題を変えた。

「あのお兄さん、

 いや、いとこってちょっとヤンキーっぽいけど、

 そっち系の人?」

「ははははは!やっぱりそう見えますよね。」

いきなり笑い出した由美に、あっけに取られる洋平。

「お兄ちゃん、

 ロックバンドのボーカルやってるんです。

 アマチュアだけど。

 だからちょっとツッパッた感じ

 演出してるんでしょ。

 本当は毛虫が怖い弱虫なのに。」

「でもけんか強そうに見えたけど。」

「はったりだけはすごいんです。」

「そう…」

「でも、洋平さん。んんん… 

 君付けでいいですか?」

「え、ああ… うん。」

「洋平君だって、

 あのはったりに怯まなかったじゃないですか?」

「そりゃあ・・・」

『そりゃあ、好きな娘の前でカッコ悪いとこ

 見せられないよ。』

と口に出しかけて、言葉を飲み込んだ。

「そりゃあ、何?」

突っ込まれてどう答えようか迷う。

「そりゃ… 

 小さいころから剣道と空手やってるから…」

「そうなんだ、強いんですね。」

「強かないけど…、まあ、男だから。」

 

「ふふっ、そっか。」

ちょっと勢いを削がれてしまったが、その後は前もって考えていた質問を繰り出し、ぎこちないながらも、何とか会話になっている。由美の質問攻めにどぎまぎ答えるいつもの情けない展開ではない。

『やればできるじゃないか!』

洋平は心の中で自画自賛していた。

そして『ゆでだこオヤジ』のバス停につき彼女が立ち上がる。洋平は名残惜しそうに、

「じゃ、また明日。」

「また明日。

 今日は楽しかったです。ありがとう。」

そう言うと由美はバスを降りていった。傘を差し、バスの方に振り向き手を振る由美に、洋平は見えなくなるまで手を振った。

                                             

 

                  続く・・・