万引き 犯人像から見える社会の陰
『万引き 犯人像から見える社会の陰』
伊東ゆう 著
本書には万引きGメンである著者の体験が記されているのですが、すべてが実際の万引き事件に基づいているので非常に生々しいです。
そして、サブタイトルになっている「犯人像からみえる社会の陰」というのは、まさにその通りだなと思います。
ある時代の経済状況、社会状況を把握しようと思った場合、統計上のデータというのはもちろん重要です。
あるいはメディア等で何が流行っているか、映画や書籍のベストセラーというのもまた時代を探る手がかりにはなるでしょう。
でも、もっとダイレクトに時代を知るためには犯罪の様相を知ることが大事です。
この本では「万引き」というひとつの犯罪だけを扱っていますが、犯人のバックグラウンドは実にさまざま。
そして、注目すべきはコロナ禍が万引きにどのような影響を与えたかについて。
コロナ禍による失業、景気悪化によって万引きの様相が変わる。
犯罪は時代を映す鏡。
正直なところ、この本を読んでいる最中、他人事ではなく明日は我が身かもしれないと背筋が寒くなりました。
事実、コロナ禍によって店の仕入れがままならなくなって犯行に及ぶ飲食店の店主というのは増えているそうです。
居酒屋店主、カフェ店主、ラーメン屋、スナック・クラブのママ・・・・・・。
ここに記されていないだけでバー店主もきっといるのでしょう。
明日は我が身・・・・・・シャレになってません。
万引き行為そのもの以外にも、犯人を通していろいろなことが見えてきます。
たとえば、なるほどと思ったのが、
『新型コロナウイルス発生以降、小さな間違いや当たり前のことを他人に指摘されて、むやみに大声を出したり、乱暴な態度をとってしまったりする人が増えているように感じるのは気のせいだろうか。』
という記述。
実は、店に立っていて同じことを感じていました。
日本酒BARあさくらは小さな店なので、コロナ以前から大人数のお客さんはお断りしているのですが、このコロナ禍でより慎重に対応するようになりました。
ある夜、19時くらいでノーゲスト、誰もいない店内でお客さんが来るのを待っていると扉が開きました。
「いらっしゃいませ」
と声をかけたものの、なかなか店内に入ってこない。
ちょっとザワザワとした気配が扉の向こうから感じられ嫌な予感。
ようやく顔を出した男性は見知らぬ方。
あらためて、
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか」
と尋ねると、
「七人なんだけど」
とその男性が返してきました。
感染予防対策の面からも、店の方針的にもお受けできない人数なので、
「申し訳ありませんが、ちょっとその人数は無理ですね」
と伝えると、
「いや、店、誰もいないじゃん!七人くらい余裕で入れるでしょ!!」
と声を荒げて中に入ってこようとします。
「いや、誰もいないし、密になんてならないから大丈夫でしょ!」
と、なおも食い下がってきます。
理屈が通じなさそうなので、平謝りしかあるまいと、申し訳ないですが、すみません、と繰り返すと、
「じゃあ、三人と二人と二人ならいいだろ!!」
とさらに詰め寄ってきます。
“アh”まで出かかった言葉をグッと飲み込んで、苦笑いしながら、すんませんを繰り返してようやくお帰りいただけました。
階段を降りきった男性は一番下の段からこちらを振り返り、
「二度とこんな店来るか!!ネットに書き込んでやるからな、おぼえてやがれ!!」
と悪態をつきながら去っていきました。
ほかにも、時短営業が終わって後片付けをしているところに入ってきて、一杯くらいいいだろ!とゴネた泥酔カップル、大声で騒いでいるのを注意したら逆ギレしてきたサラリーマングループとか、コロナ前よりも大声を出す人の割合が増えたなという印象を持っています。
様々な行動を制限されたことがもたらすストレスがそうさせているのかもしれません。
本書にはほかにも、いろいろと勉強になること、痛ましいなと思う事例がいくつもありました。
そして、またしても共感ポイント。
被害届けの提出をさせまいとする警察官。
万引き犯の中でも高齢者で認知症だったり、特別なケアが必要な場合、警察の方でも面倒を嫌がり被害届を出させないように仕向けてくる警察官も一部存在するのだそうです。
この箇所を読んで、
「ああ、やっぱりそうなんだ」
と納得がいきました。
3年前に自転車(ゴールドエクスペリエンス号)が盗まれた時に行った交番で、何だかんだと理由をつけて被害届を受け付けてくれようとしないどころか、
「被害届を出すんなら現場検証で一緒に現地まで行ってかなりの時間取られるけどそんなんで時間つぶしていいのか!」
と半ば脅すような口調で言われ、それでも出すと言うと、
「酔っ払ってどこに置いたか忘れてるだけじゃないのか!」
と恫喝に近い形で怒鳴られ、それでも被害届を出したいと食い下がった時に言われたセリフは今でも覚えています。
「いいか、あんたが被害届を出すとな、犯罪が一件増えるってことになるんだよ、わかるか。そのことで、この地域の治安が悪化することになるんだよ。こうやってな、水際で犯罪を防いで地域の安全を守るのも防犯ってもんなんだよ!」
あきれと怒りで、もうこいつらには何を言っても通用しないと諦めて別の交番に向かうと、そこではあっさりと被害届を受理してくれました。
交通安全週間と同じく、防犯目標か何か達成すべき数字があったのかもしれませんが、あまりにもひどいあのセリフは絶対忘れません。
警察官も人間です。
人によって対応がまちまちなのは仕方ないですが、自分が不愉快な目にあうとやっぱり嫌なもんですね。
話がそれました。
本書のタイトル「万引き」を目にした時、最初に思い浮かんだのが学生時代のポーランド系ドイツ人の友人の話でした。
彼女の母はポーランドからの移民。
詳しい経緯は知りませんが、第二次世界大戦後に祖国から逃れてきた移民の彼女は貧しく、日々の糧を得るのにも苦労していたようです。
貧しかった彼女は、生きるためにたった一度パンを万引きしたところを捕まって投獄されてしまいました。
ジャンバルジャン!!
その時はレ・ミゼラブルを読んでなかったので思わなかったけど、今はそう思います。
彼女のお母さんはミリエル司教のような人には出会いませんでしたが、出所後は同じくポーランドからドイツに移ってきた親戚のつてをたどって職にありつき、旦那さんになる人と出会ったのだそうです。
万引きで捕まった人すべてが投獄されるわけではないですが、たとえ刑務所に行かなくても彼ら/彼女らにはセーフティネット、あるいはホーム=「安心して帰ることができる存在を受け入れてくれる場所・人」が必要なのだと思います。
物理的な家・建物=ハウスではなくホーム。
そういう意味では、今多くの人がホームレスになっています。
たとえ、血のつながりのある家族ではなくても、地域のコミュニティであったり、なんらかのつながりであったり、真のホームがあればまだ救いはあります。
今の世の中は弱者にはあまりやさしくない社会ですが、せめて個人のレベルでは弱き人にもやさしくできる社会であってほしい、そんなことを思いました。