あれから1年です。
皆さん今日黙祷しました?
私も例に漏れず黙祷しました。自然と涙が出ました。


あの日は私は家でテレビを見ていました。
地震は突然で、少しして収まったあと、テレビで流れた光景は今でも忘れない。
まるで映画。

ぐんぐん進んでくる水の塊。

…スライムみたい。これなんの映画?確かニュースみてたはずだけど…?

しばらくして、ようやく現実の映像なんだとわかった。だって、しばらくニュースキャスターの声なかったんだもん。
それでも現実味は全くなかった。



だけど時間が経つにつれ、それはどんどんリアルになりました。

ようやくリアルになったと思ったら、もう一年です。

この一年、なんでこんな理不尽なことが…ってよく思ってたけど、最近思うのが、そもそも世の中は理不尽なもので、というか、理不尽という概念なんて人間が勝手に作ったもので、最初から理不尽も何もないんだろうなって思ってすらいます。

人間の概念なんて自然や地球には全く関係ないことで、どんな生き方、肩書きの人間だろうが、大地を前にしたら何の関係もなくなる。


いろんな出来事には良いも悪いもなく、出来事に意味をつけるのは、前を向いて歩くための理由。

もちろん前を向いて歩くためには理由が必要な時がある。わたしなんて仕事でへまが多いから、凹まないように、これは神様が与えた試練!とか理由付けまくりwww

自然の猛威に対して良いも悪いもないとか言うと怒られそうだけど、逆に言えばその事象に対してどういう意味を持たせようが私たち人間の勝手なんですね。
前に進むために必要なんだもん。
自然の猛威の前には人間は余りに無力で、そんなのはとっくの昔に知っているんですよね。
だから人間は人間なりに、踏ん張るための知恵としてこまごまやってるんです。

ただ、元々は事象には良いも悪いも意味もないのかなって思うんです。
その事象に対して、いろんな人が自分に都合良いように解釈して、自分を納得させて、また前に進むのが人間なんだろうな。

そして、3.11以降よく聞く「頑張れ東北」「希望を捨てないで」「諦めないで」

私も平気で使っていた。なんとなく違和感を残したまま。


で、ずっとあった違和感の正体はこれでした。
私こんな事言われたらプレッシャーだわ。
家も大切な人も何もかも奪われた中で、がんばれない。希望が見えない。諦めないの意味がわからない。

今だからこそありがたいと思えるかもだけど、私が被災者だったら、諦めてもいいし、希望が見えなくてもいいよ。私たちが頑張るし、またあなたに希望が見えるようにするからって言ってもらえたら、何もかも失ったけど、まだ寄りかかれる場所があると思うだけですごく楽になれると思うんですよね。

頑張れー!って正面から言われるより、隣で寄り添って同じ方向を向いてほしいと思うのです。
たまに疲れたら、肩を貸して欲しいのです。

だから私は、正面から頑張れって言うんじゃなく、隣で私が頑張りますから、大丈夫ですよって言える人になりたい。

実際は、私は気の利いた言葉がすぐ出てくるような人じゃないのですがwww
でも、微力なんですが、寄り添って、支えていきたいです。





一年前の今日、まだ悲劇は起こったばかりです。