「男成(おとこなり)神社」へ参拝へ行きました。
熊本市内方面から行くと「幣立神宮」参拝へ行く途中にあり、以前より名称が気になる神社で参拝したかったのですが、道が狭そうなので行ってなかった神社です。
218号線から入って上る道に一の鳥居があります。
扁額には「男成神宮」とあります。
鳥居をくぐり、軽でも離合(九州弁で狭い道で車がすれ違うこと)厳しそうな茶畑の横や杉林の道を進みます。
帰路に、同じ道で裏から一の鳥居を見たものです。
杉林の向こうに二の鳥居が見えて来ます。
木でできた二の鳥居の扁額は、細川藩八代藩主重賢公の書と言われています。
こちらの扁額にも「男成神宮」とあります。
拝殿です。
主祭神:天照大神, 神武天皇, 神八井耳命
祭神:阿蘇十二神, 須佐之男命, 稲田姫神
神武76年(紀元前585年)に神武天皇の孫である健磐龍命が行宮を建て三神を祀りました。
640年に阿蘇大宮司が、阿蘇神社の分社として阿蘇十二神を勧請し社殿を建立しました。
1190年に須佐之男命(祇園宮)を配祀し、祇園宮と称するようになりました。
熊本の豪族である阿蘇氏から尊崇を受け、阿蘇氏が代々ここで元服を行なっており、中でも1222年に当主阿蘇惟次の長男惟義が元服を行ったことから「男成」と呼ばれるようになったそうです。
神社が鎮座する地域も地名は「男成」と言います。
阿蘇氏の墓は阿蘇神社にありますが、墓地の碑文には「阿蘇氏が最も県政をふるったのは矢部在住の時である」という一文が刻まれているそうです。(’05の町村合併で、矢部町+清和村+蘇陽町が合併して「山都町」に)
1855年に火事で社殿が消失、1862年に本殿、1876年(明治9年)に拝殿が再建され現在に至ります。
拝殿には、天井絵, 百人一首の絵馬などが残っています。
境内社として、天満宮, 歳神社, 雨宮神社の三社合祀の社殿が鎮座します。
神楽殿?には十二支の絵馬がありますが、昨年(辰年)の参拝でしたので「辰」は拝殿の扁額の横に飾ってありました。
書置きの御朱印をいただきました。
10数分ほど車で218号線を西へ行くと、近くには「道の駅通潤橋」や「通潤橋」があります。
「通潤橋」は、1854年に作られた日本最大級の石造りのアーチ式水路橋で、’23に国宝に指定されています。
’24にはそれらの直近に九州中央自動車道の「山都通潤橋IC」が開通して便利になっています。
冒頭に書いた「幣立神宮」も東に車で20分ほどの場所に鎮座し、高天原神話発祥の神社, パワースポットとして?有名なこちらは参拝客も多そうですが、今回の「男成神社」も非常に雰囲気が良く心地良い神社でした。
元服の儀を行う神社でしたが、現在は、男女問わず子供の健康と成長, 家内安全, 商売繁盛, 交通安全などの御神徳を謳っておられます。
道が狭くアプローチが悪いですが、ご近所にいらした際にはこちらにも是非参拝を。
クリックしていただければ幸いです。
にほんブログ村