JR下関駅から4~500mほど離れた国道9号線沿いに鎮座する大歳神社へ参拝へ行きました。
国道9号線に面する一の鳥居は1862年に高杉晋作などの資金援助や坂本龍馬の面倒を見るなどをしていた白石正一郎が尊王攘夷を祈念して奉納したものです。
鳥居を入り、急な階段(一二三坂)を登ります。
一二三坂は、当初は123段あり一二三の祓い言葉にちなんで厄を祓う意味が込められていましたが、平成10年(1998年)に階段が整備され、その際に115段になったそうです。
平成29年(2017年)の鎮座830年記念事業で、階段に人生の通過儀礼のプレートが設置されています。
1段目の「初宮参り」に始まり、3段目「3歳 七五三 髪置」......「20歳 成人式 / 後厄(女性)」.....「90歳 卒寿」.....、115段の「旧123坂 お祓い坂」の表記まで続きます。
階段の途中の下水道のマンホールの蓋も下関らしくていいです
階段を上ると二の鳥居があり拝殿です。
御祭神:木花咲耶姫神, 大歳神, 御年神, 若年神
祭神の木花咲耶姫神が山の神(富士山)であることから、小山を登頂して参拝すると考えて一二三坂を上って下さいとのことです。
平家追討の任務を負った源義経は、1185年に武運の守護神と仰ぐ富士浅間神社の大歳御祖大神の神助を請い、平家が布陣を整える彦島を望む有明山(JR下関駅東口付近)に富士の小松を植え、篝火を焚き、二日二夜の斎戒沐浴をして戦勝祈願を行いました。
その後の壇ノ浦の戦いで義経は勝利しますが、その翌年の1186年に四軒の漁民が、義経の祈願の様子を畏敬して神祠を祀った(現在のJR下関駅西口高架下付近)ことが大歳神社の由緒とされています。
以来、武運長久の神として明治維新の際には奇兵隊の旗揚げの軍旗が奉納されるなど、義経必勝祈願の地, 奇兵隊旗揚げの地, 本州最西端守護とされています。
昭和15年(1940年)に関門鉄道トンネル工事の際に、社地が鉄道線路敷地になったため現在地に遷座しています。
拝殿には「義経戦捷の弓」のレリーフも飾られています。
摂社末社:五社稲荷神社、蛭子神社、八坂神社
御朱印は通常のものと限定御朱印があり、今回は限定の義経の八艘飛びの図案のものをいただきました。
大歳神社のホームページのWEB授与所でも授与していただけます。
おまけ
朝食で寿司を目当てに唐戸市場へ行きました。
コロナの絡みで市場内の食事スペースが使用不可だったので、外で海を臨みながら食べました。
唐戸市場の道向かいの亀山八幡宮の河豚(ふくふく)はコロナ対応になっていました。
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