美味しくて楽しい酒―熟成古酒 :31

吟醸酒ブームの立役者・全国新酒鑑評会

全国品評会から全国鑑評会へ

酒の品質を審査することで、その年の酒造りの状況を分析し、将来の酒造りに役立てることを目的としてきた全国新酒鑑評会は、その創設の趣旨どおり、極めて冷静に審査をし、内部資料として役立ててきました。ところが、数々の名酒蔵を生み出しながら、戦争で一時中断していた.全国清酒品評会は戦後再開されたが、昭和30年に廃止されたため、その年に造った酒の品質を競う場がなくなったので、それを補うような形で、全国新酒鑑評会は昭和31年(1956年)の第45回から、審査の結果を一般に公表するようになりました。

しかし昭和40年代の中ごろまでは、業界関係者ですらあまり関心を示さないので出品点数は少なく、その結果を一般に公開する醸造試験所のきき酒開場を訪れたのは、酒造りの現場で働く杜氏さんや技術者が主で、その中に一般の人が混じることはまずありませんでした。

吟醸酒への関心が高まる

ところが昭和50年代に入ると急に、そのきき酒会場に、一見して酒造関係者ではないと分かる人たちの姿が目立つようになりました。

制限量一杯のブドウ糖をぶち込んだ三増酒が大量に混和された日本酒を、進歩的文化人たちが「べたべたと甘ったるくて飲めねぇ」と言いいはじめて、日本酒離れが起きる中、好事家の間で「吟醸酒という美味い酒があるらしい」という噂が少しづつ広まっていたからです。

 

日本中が豊かさを実感するようになった昭和40年代、日本酒の消費は2級酒から1級酒へのシフトが急激に進む中、それまでは特級、1級酒は灘や伏見のナショナルブランド、2級酒は地方の蔵元というように棲み分けができていたのですが、この1級酒への流れが地方の蔵元の経営を圧迫しはじめました。

危機感を持った地方の蔵元の中に、ナショナルブランドとの差別化を吟醸酒に賭け、吟醸酒造りに力を入れ、鑑評会へもこつこつと出品を続ける蔵があったのです。

この地道な努力が報われ始めたのは、鑑評会を主催者する醸造試験所にも知恵者がいて、鑑評会での優良酒を「金賞」として表彰し、その酒のビンに金紙を貼り付けて、公開きき酒を行うようになり、鑑評会への関心が高まるようになってからで、

3年連続とか5年連続金賞受賞などの蔵が現れると、マスコミがそれを報道するようになり、鑑評会への関心は一気に高まることとなります。