あらゆる行事に酒が欠かせない古代の神社では、酒を造るための酒殿(さかどの)というものが作られていました。

奈良県にある春日大社の酒殿は859年に創建され、現在は国宝になっている桧皮葺(ひわだぶき)の立派な建物です。

酒殿の土間には、口径50㎝、高さ75㎝の大甕(かめ)が数個、半分ほど土に埋められているそうです。

大宝律令(701年)の施行細則で、宮中の年中儀式や制度を録した「延喜式(えんぎしき)によると、春日祭に使う神酒造りには、原料の米はもちろん、酒造りに必要な道具類や、酒壺などが宮廷から支給され、同じく宮廷から派遣された醸酒女(さけつくりめ)一人、駆女(かけめ)二人によって酒が造られました。

神酒造りは臼で玄米をつく作業から始まり、その米を箕(みの)でふるい、洗い、浸漬したあと、竈(かまど)で蒸し、一部は麹作りに使い、仕込みを行います。


      酒殿は 今朝はな掃きそ 内舎人女(とねりめ)

         裳(も)引き裾(すそ)引き 今朝は掃きてき

(酒殿は、仕込み作業に忙しく立ち働く内舎人女の、長い裳裾で掃き清められたようになったから、朝の掃除はしなくてもよいよ。)


神楽歌の「酒殿歌」ですが、神酒を造る神聖な酒殿は、常に清浄に保つことを求められていたことが分かります。


ところが、同じ「酒殿歌」にこんな歌があります。


         酒殿は 広しま広し 御甕(みか)超しに 

            我が手な取りそ しか告げなくに     

(酒殿はこんなに広いのに、甕の向こうから、手など握らないでよ、いいとも言っていないのに)

どうやら男性もいたようで、作業のどさくさに紛れて、女性の手を握って、女性から肘鉄を食らっている様子ですが、彼女の方もまんざらではない?


          男女の中は、いつの時代も変わりません。