僕は教育者でもないし、ましてや子育てもしていません。
だから子育てをされた、教育を受けた側の人間の一つの説として書きますね。

常識(普通)というものは実は幻で、愛と自由はセットであるということに関係しますが
※「常識(普通)が通用しない」ご参照https://ameblo.jp/sakazakinorio/entry-12608042070.html

 

 



僕は父親に、殴られ、怒鳴られ、死ね等の暴言と暴力によって勉強することを義務付けられました。
母親は僕が勉強しないと父親に報告しました。
かといって僕はあまのじゃくなので逆に勉強しませんでした。

両親からすれば子供のことを心配しているからこその行動なので悪気はありません

僕は両親の行いが失敗だったとも思わないし、恨んでもいません。
物事には必ず正負双方を併せ持つ性質があるからです。

自分たちもそういう抑圧をベースとした子育てをされていることも影響しているでしょう。

しかし、本当の意味でそれが愛に基づいた行動なのかというとどうでしょうか。

誰かを愛していると言えるためにはそこに自由もセットで含まれていないと愛していることになりません。

つまり
子供に勉強を「強制」することは子供を愛していることにならない。ということを意味してしまいます。
※あくまでも机上の理屈のお話ですので悪しからず。

さてここまではロジックです。
難しいのは現実社会への当てはめ、実践ですね。

だいたいの子供は勉強より遊ぶほうが好きです。
放任すれば一日中ゲームばっかり、というお子さんもいるでしょう。

子供は経験則が使えないので、その行動の原因と結果を分析し、改善しようとしてもできないことが多いです。

だから人生の先輩である親や肉親でなくとも親の役目をする方がいらっしゃるわけですね。

ということは
親または親の役割を果たす方の、子供への愛し方は

地球のルールを知らせる

ことにあるのではないかと思います。

便宜上、地球と書きましたが、常識やマナーは、地球、国、職場、学校、家、民族ごとに違います。

それを一般的には常識(普通)とまとめて呼称しています。

勉強して偏差値の高い大学に入らなければ優良企業に就職できない、ひいては良い暮らしができない、といったこともそれが正しいか否かはここではさておき、いわゆる常識(普通)というフレーズの中に含まれています。

そのスタンダードからローカルなマナーを一応の知識として子供に知らせる、一応うすぼんやりと理解してもらう

大人の言うことを義務的にきかせるわけではありません
知識や情報として大人の経験則や自分が思う常識マナーを、子供に知らせるだけです。

そして最後は子供自身に決断させ、その落とし前も本人にさせます

それが子供の自立ないしは自律を促すことになると思うのです。

怒ると叱るの違いも重要です。
怒るはただ感情をぶつけているだけで教育ではなく支配です。
それに対して叱るは、理論やルールを、冷静に客観的に伝えます

しかし、これらはかなり肝が座っていないとできません。
目の前でお子さんが遊びほうけていたら怒りたくなるのは当然です。
僕もきっと例外ではなく、ここで書いたような対応はできません。

できませんが、知っているのと知らないのではゼンゼン違います

自分の理想とする生き方に一歩でも近づければ、あるいは近づくよう目標を持ち続けていれば、いつか絶対に叶います


司法書士・行政書士 坂﨑(坂崎)徳夫 総合法務事務所

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