最初にお詫びします。

僕は冠婚葬祭に携わる方々を尊敬し、感謝しております。

 

しかし
冠婚葬祭かんけいのお仕事されてる方、そのご家族などの近しい方々は、今回のブログをお読みにならない方がいいかもしれません。

個人的に特定の方を批判するつもりはないのですが、どうしても僕のブログの特性上、ご気分を害されるおそれがあるためです。

今回は特に「常識」はずれのことを書くつもりですが、あくまでも自分の備忘録のため、同じことで苦しい思いをしている方のために書いています。

賛否の否ばっかりかもしれませんが、
悪しからず、ご了承くださいますようにお願い申し上げます。


先日こんなことがありました。

父が、祖母(父の母)の33回忌をやるというのです。

お坊さんを呼んで1時間お経を詠んでもらって御膳はなし、らしいです。

なんか色々おかしいなあと感じてしまいました。
モヤモヤっとしました。

僕はコロナ予防のため、中止すべきと言いました。玉名市にも熊本県にも感染者は最近は出ていませんが、発覚してないだけで感染者はふつーにいます。

政治的な理由や、行政政策上の理由で検査数を抑えているだけだと個人的には思っています。

うちは事務所兼自宅です。
お客様がいらっしゃっているときは窓をあけ、お帰りになったあともしばらくは自宅と事務所の間のドアは閉めています。

だから父は、他のお客様と同じように、お坊さんにマスクをしてもらって、窓全開にすれば大丈夫と言ってます。

お客様が来るのは仕事です。
仕事をしないと生きていけません

でも法事はしなくてもある意味では生きていけます
命を危険にさらしてまでする必要はありません。

冠婚葬祭がすべて危険だと言っている訳ではありません。
人間は自分の意思で行動の選択ができます。

でも猫はそんなのわかりません。

うちには4匹の猫がいます。
人間は勝手にしたらいい。
でも猫は僕が守らないと、誰も守れません。

 

僕は猫のことが、もの心ついた時から大好きです。

猫のために生きてると常々公言しているので、ある意味マイノリティなとこが強いと思います。

そもそも
葬式や法事を行う意味はなんでしょうか。

故人の供養、ご遺族にお悔やみを申し上げるためだと思われます。

 

でもよく耳にします。

「あの家は、うちのおじいちゃんが亡くなった時、葬式にきてもらったから、参列しなければ

「上司の親御さんが亡くなった。参列しなければ後で何と思われるかわからんぞ」

これはまだマシな方でして

備えられたお花の多い少ないで「花の少なさば見たや?生きとるうちに人間関係ばようしとかんと、こがんなるとばん

(※花の少なさを見たか?生きているうちに人間関係を大事にしておかないと、こうなってしまう。)

とか

花が多かったねー、さすがねー好かれとったもんねー」

と、さっきまで神妙な素振りをしていた人たちが故人を品定めするような、葬式を品評するような話を聞いたこともあります。

 

結婚式でも似たような出来事があるみたいですね。

誰を呼ばなくちゃとか、いくらご祝儀を包まなきゃとか。

 

そういう人間の哀しい姿がでてしまうのはなぜか

僕が小さい時から不思議に思っていたけど、親や祖父母にきいても門前払いだったので解決しないままだったのです。

 

葬式や法事、結婚式に、義務的に、しょうがなく、損得計算で行ってることに原因があるのでは、と思います。

本当に心からお悔やみに来ている方ってどのくらいなのでしょう。

 

僕は自分の葬式とか法事に義務的に来られても嬉しくないです。

でも、本当にお悔やみに来られたら嬉しいです。

 

でもでも、本当に心から真実、純粋に

故人の冥福とご遺族にお悔やみ

それだけのために参列してない方が少なからずいらっしゃると思われます。

(統計をとったわけではないので「多い」とは断言しません。)

 

だから僕は

できることなら自分の葬式や法事はしてほしくない。

もちろん一番嬉しいのは、故人の冥福とご遺族にお悔やみをしにみんなが来てくれる葬式や法事です。

しかし、実際は全員がそういう訳ではありません。


それよりも、ときどきぼくのことを思い出して、たまに心の中でお祈りしてもらうほうが嬉しい

死んだ僕のことを日頃わすれてるのに、数年に1回の法事をノルマのように、義務的にやられて、それで供養した気になられても、決していい気分はしません。

僕の葬式に、行かないと後で何て言われるかわからん、と義務的に来てほしくない。
僕は父のことを愛しています。だから父の愛のない行為はみたくない。

そこで父に質問しました。
毎日ばあちゃんのこと想っているのか?

日頃は忘れてるのではないか?
返答は、想ってる、忘れてない。でしたが嘘がバレバレです。
父は嘘をつくとすぐ態度に出ます。

そして、父は言いました。
33回忌で最後だからやらせてくれ、決まりだから。

結局、父は、日頃おばあちゃんのことを供養できてないので、義務的に法事をして、自分の罪悪感を消したいだけなのではないかと感じてしまいます。

父がおばあちゃんを忘れず、信心も忘れていないなら僕は何も言いません。法事もやればいい。賛成します。

故人の冥福のために、供養のために法事をすることは素晴らしく愛のあることだからです。

今回はコロナという事情がありますので
お経をあげたいのなら自分で唱えるか、テープでもよくないかなあと思ったりします

祖父は当時のお坊さんと仲が悪かったのでそうしてました。

毎朝、月命日も、お経のテープを流してお祈りしていたのです。

 

ある意味、おじいちゃんは愛に基づいた行動ですよね。
要は気持ちが大事なので、形には固執しなくていいのです。

 

本当に心から真実、純粋に、故人の冥福とご遺族にお悔やみをお伝えするための葬式や法事は

「ちゃんと愛に基づいた行動だから」

僕はあたたかい気持ちになります。

亡くなった人は魂の存在になり、あの世に帰ります。
仏壇にもいないし、家にもいません。

絶対にどうしてもそこでしなければいけない、訳ではありません。

あの世に帰り、地球での修行を振り返り、また別のテーマをもって生まれ変わります。

 

※僕は無宗教です。左でも右でもありません。何の圧力団体にも入ってません。

 

皆さんに勘違いしてほしくないのは、人間が生を受け、寿命を迎え、また生まれ変わることは

とっても尊いことで高貴なことであり、その節目節目で行われる冠婚葬祭は、同じく重要な

儀式であるだから常に本物であってほしい。と僕は思っているということです。

 

だからこそ、それを軽んじる言動を見て見ぬふりすると苦しさを感じるのです。



だいぶこじらせ気味の文章になりましたね。

どうしても感情的になってしまいます。
申し訳ございません。

この件について自分の心の落とし所はまだ模索中です。

※2020/07/14 追記

後日譚です。

昨日はおばあちゃんの33回忌でした。
結局、言い出したら絶対に譲歩しない僕の意見を尊重してもらった塩梅で、
お坊さんを呼ぶのは止めて貰いました。
父がそのことを僕に伝えに来たその時、ちょうど僕と電話していた全ての事情を知っている方から
「ありがとうって。ありがとうって言って。」
と言われたもので、その方の勢いも手伝って
「ありがとう」
と大きな声で言うことができました。

僕は普段「ありがとうございます。」
を勿体ぶらず使うことを心掛けていますが、両親には思っていても言うことができません。

日常会話もできないことはないですが、なぜかあまり話したくありません。

なんか知らんけど恥ずかしい。
何かわからんけど疲れてしまう。
ことがその理由です。

なのでごく稀に、年に1回〜2回の頻度で「ありがとう」などと言おうものなら、目を丸くして驚かれます。

今回も例に漏れず、父は驚愕の表情で
「そしたら墓参りに行くから付き合え。」
とのことだったので、一昨日の日曜日にお墓参りに行って来たという訳です。

僕は1人でお墓参りに行くことは多い時では、週一で行っていましたが、よく考えれば家族で行くことは、ここ20年くらいなかったはずです。

それくらい僕の家族は1つ屋根の下に暮らしていても疎遠でした。

僕の頑固と神経質がだいたいの原因です。

両親はいつも僕と話したそうにしているのは気配でわかっていましたが、そうしないと自分自身が潰れてしまうので他に手段がありませんでした。

お墓参りの時には、当時ぼくが4、5歳の時のおばあちゃんの記憶、建て替える前の実家の記憶、おじいちゃんの話など昔話をしながらお参りしました。

それで帰宅した後、ふと思い立って、you tubeで般若心経をかけてお仏壇に3人でお参りしたい。と湧いてきました。

検索して父に観せると喜んだので、喪服に着替えてお線香をたいて仏壇をライトアップしてお坊さんなしのお経をあげてお参りしました。

般若心経は5分もない短さなのでその動画もすぐ終わりましたが、もう父は泣いており、僕に何度も
「ありがとう」
と言いました。

父が部屋に上がった後、もう少し長い動画はないかと探したら16分程の読経動画があったので、また父に伝えると
「もうあれで充分だよ。」
と言っておりましたが、僕が
「せっかくだからもうちょっとやろう。」
と言うと応じてくれました。

今度のお経は16分あったのでおばあちゃんの思い出や、父の祖母への想いなどを考えることができました。

再度の読経後、父はまた泣いており、僕にまた
「ありがとう」
と何度も言いました。

僕は
「コロナが全部おちついて、全部へっちゃらになったら、またお坊さん呼んで法事しよう。」
と返事をするのが精一杯でした。

ばあちゃん。
これでよかったかどうか、今でも考えています。

ばあちゃん。

ごめんね。
ありがとう。



司法書士・行政書士 坂﨑(坂崎)徳夫 総合法務事務所

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