何がそうさせていたのだろうか?
池西氏の作品は前々から欲しいと思っていた。
いろいろな種類のものを作られているが皆相当に上手い。
特に黄瀬戸は見るからにいい。
ある程度の黄瀬戸を作る方はお値段も相当なものだが、この方は上手さの割にまだまだ手頃だと思う。


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ブログ友の記事を覗くと結構持ってる方も多い。
作品それぞれ少し違いがあって、あれもいい、これもいいと思いながら見て結局これを買った。



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僕が現代作家の黄瀬戸で一番評価しているのは鈴木五郎さん。
本気で作る正統な黄瀬戸は味わい深いしそれを越えた表現を常に模索する。
亡くなってしまったが各務周海さん。
魂が入った独自の黄瀬戸は氏ならではのもの。


何でこんな書き方をしているかというと、
この黄瀬戸を手に取って、使って見たら何となくしっくりこなかったのです。


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この優美な立ち姿。
きらめく潤いのある肌。
気品すら感じる絵付け、タンパン。
だのに・・・もの足りない。何かがもの足りない。


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どうやら僕は池西剛氏に「もっと」を要求しているようです。
それを期待させるに足る陶芸家だと感じるから。

黄瀬戸の第一人者と言われる原憲司氏が
あるインタビューで黄瀬戸のどんなところに自己の表現を出すのかと聞かれ
「焼き物の世界につまらない個人の表現などが必要ですか?」
と答えていたが
個人の表現がないただの桃山陶写しに作家名は要らないと思う。
僕達は原憲司という現代陶芸家の自己表現に対して
6cm程しかない酒盃に10万円もの対価を払うのだ。
原憲司の名がない物にその対価を払うだろうか?
僕は払わない。

桃山陶の写しならば
現代の技術とデータを駆使すれば才能ある人はこのくらい出来て当たり前。
ここから先に陶芸家・池西剛の作品があると考えたい。