いわさきちひろが大好きだと言うのは多少の気恥ずかしさをともなう。
テーマを与えられず自由に描く彼女の絵には
必ずと言っていいほど花と子どもが描かれていて
特に子どもの表情やしぐさは他の画家が真似できないくらい生きいきとして
夢や希望、ときに切なさや退屈さまで見事に表現する。
子どもを通して豊かな未来への願いや平和への祈りが聞こえてくる。
だからちひろのファンは女性が多く「母の願い」を代弁している画家といえるだろう。
気恥ずかしさはそんなところからきていると思うが
僕は高校生の時からの大ファンだ。

 ちひろはまたその生涯を政治運動に捧げた童画家でもあった。
ちひろは1918年(大正7年)福井県武生市で
父は陸軍技師、母は女学校の教諭という厳格で裕福な家庭の長女として生まれた。
終戦までのちひろは当時の一般的な生活を送っていたと言っていいと思う。
小さい時から絵の上手な子どもだった。
好きな絵も自由に描けず戦争という時代に抑圧され閉じ込められていた
ちひろの豊かでやわらかな感性は終戦とともに解放されていった。
そんな時に出会った宮沢賢治の世界にちひろは熱病のように傾倒していく。
賢治の中のヒューマニズムや社会主義的思想はその後のちひろの人生を
決定付けたと言っても過言ではないだろう。
その後童画家として着実に成長していくちひろの根底には
常にヒューマニズムの精神がが流れており
その精神が反戦運動や女性の権利獲得のための運動となっていく。

 僕はちひろの絵を見るときいつもその人間への愛情を見ているのだと思う。
政治のこととなると、人と話をすることは途端に難しくなってしまうものだが
政治の終着駅はどんな思想を持つ人も同じで、愛があふれる豊かで平和な世の中。
ここに向かって行く戦略や戦術がいろいろあるだけなのだ。
最終的な目標は同じであるのに諍いや殺戮が繰り返されることは悲劇だ。

 僕も若い時から政治には大きな関心を持って運動もしてきているが
政治組織には属していない。
頭の回転があまり早くなく自説を述べると切れ者達に論破されてしまうが
どうしても譲れないひとつの主張がある。
それは、人は皆それぞれ違いがあり、その「違う」事を許容するということだ。
ヒステリックになり他者を許せず武器まで持ち出せばその争いは際限なく連鎖していく。
「違う考えの人を愛おしむ」このことが
ちひろの描く子どもと花に象徴されていると感じる。


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 このちひろの木版画は先日手に入れたものだが
ちひろは生前版画を作っていないと思っていた。
 画題は「花と子供」とある。
経歴をみると1956年の小学館児童文化賞が書かれているのみなので
次の受賞が58年ということから考えると57年か58年に刷られたものと考えられる。
彫り師は当時名工として名高かった大倉半兵衛で刷り師は米田稔。
どちらも当時最高の職人である。
ちひろの直筆サイン入りで新日本木版選刊行会と千種画房という表記がある。
絵はちひろ初期の子どもの描き方で想像している時代と符合する。
ちひろ美術館にも作品集にもこの絵の原画は見当たらず
もしかしたら原画は失われてしまったのかもしれない。
ほっぺの表現などがその後のちひろ独特の表現と異なるので
表現を模索する過渡期の作品なのではないだろうか?
またはちひろ特有のぼかしの表現が木版では表現できずやむなくということだったかもしれない。

 先日ちひろのパステル画が新たに発見されて話題になったが
高校生の頃兄が買ってきた「マフラーを巻いた少女」(だったかな?)という絵を見て以来
いつかちひろの原画が欲しいなと思ってきた。
その夢は叶いそうもないが
自筆サイン入りの木版画はその夢を叶えたと言っていいくらいうれしい。
子どもや花を描き続けたちひろだが
彼女自身が清廉な少女のような精神を持ち続けた方だったと思う。
この絵を傍らに置くと彼女の精神に感化され
僕の心も浄化されていくような気持ちになれるのだ。