平安京遷都決断の地

 

東山三十六峰、華頂山麓に

青蓮院や知恩院が見えます。

 

頂上に見えるのが青龍殿です。

 

過ごし易い季節になりました。

久し振り、友人の運転で訪ねる。

 

木造大舞台は圧巻。

清水寺の舞台の4.6倍の広さ。

延面積1046㎡。

 

眼下に京都市内が一望できます。

 

中央の森が京都御苑(京都御所)です。

 

横一線に伸びる帯は鴨川です。

 

西展望台からは京都市内はもとより、

大阪あべのハルカス(300m)まで望める。

 

第50代天皇の桓武天皇は、都を奈良

から京都の南方、長岡に移されたが

様々な事故が続いていた。

 

和気清麻呂が桓武天皇をこの山頂に誘う。

京都盆地を見下ろしながら、都の場所に

ふさわしい旨を進言。

 

桓武天皇は、その勧めに従って延暦

13年(794)、平安建都に着手。

 

桓武天皇の指示で、都の安泰鎮護のため

高さ2.5m程の将軍の像を土で作り、

鎧甲を着せ、鉄の弓矢を持たせ、

太刀を帯させ塚に埋めさせた。

 

約20m四方のこの地を「将軍塚」と

呼ぶ由来です。

 

この「将軍塚」は、国家の大事があると

鳴動したという伝説がある。

「源平盛衰記」や「太平記」に残る。

 

有名な鳥羽僧正筆「鳥獣戯画」。その

「将軍塚縁起絵巻」に像を埋める図がある。

 

以下、「青龍殿」の由緒由来を

案内文から抜粋。ご参考まで。

 

大正2年(1915)

大正天皇の即位を記念、

広く京都府民から浄財を募り、

「大日本武徳会京都支部武徳殿」

として京都北野天満宮前に建立された。

 

昭和22年(1947)

京都府に移管され、「平安道場」

として警察の柔道剣道の道場に。

 

平成10年(1999)

京都府は、修繕に多額の費用が掛かる

ので閉鎖、解体処分とすることに。

 

平成22年(2010)

青蓮院が「青龍殿」として将軍塚

に移築再建することを決断。

平成26年(2014)10月に完成をみた。

青蓮院の飛び地境内の位置付けです。

 

暑くも寒くもなく、絶好の行楽日和。

歴史を学ぶツアーの皆さんが観光バス

で来ておられました。

 

友人は将軍塚の名前は知っていたが

青龍殿は初めてとのこと。

 

東山山頂の新名所です。

 

京都市内一望の大パノラマに

大層喜んでくれました。