拳を握って歩くこぶしの道

 

半径ほぼ400メートル圏内。

杖をついての歩行訓練。

ついでに社会見学。

 

この猛暑の中、帰り道の辛い気分の最中に、こぶしのある風景。

こぶしの木に、いつも励まされています。

 

帰りはいつも下肢の痺れがMAX。左手の拳を握って耐えるのが常。

 

こぶしの名前の由来は、つぼみの形が握り拳に似ているからだとか。

或いは、花後にできる果実が握り拳のように、ボコボコとした形をしているからだとも。

 

こぶしの花のように 優美な姿でありながら、握り拳に象徴される力強さを併せ持つ木です。

「辛夷」と書いて「こぶし」と読む。

 

こぶしの花を知ったのは、ご存知の歌謡曲の歌詞です。

 

作詞家、いで はく 氏 の本名は井出 博正。1941年、長野県生まれ。

1965年、早稲田大学商学部卒業。

1971年、作曲家遠藤実氏に師事し作詞の道に入る。

 

「北国の春」は、1977年にリリースされた千昌夫のシングルレコード。

「いではく作詞  遠藤実作曲」で、あの大ヒット曲が生まれた。

 

白樺(しらかば) 青空 南風

こぶし咲くあの丘 北国の

ああ 北国の春

季節が都会ではわからないだろうと

届いたおふくろの小さな包み

あの故郷(ふるさと)へ帰ろかな 帰ろかな

 

この歌詞の中に出てくる「こぶし」で「こぶしの花」は一躍有名になったそうだ。

多分、北国は東北辺りに生息する樹木だろう。白樺に重ねて誰もがそう思ったに違いない。

 

いではく氏は、イメージを膨らませる天才作詞家。

唄いだしの単語の並べ方の妙。3番の歌詞なぞは天下一品。

 

聞く人の頭の中に、凡その舞台が設定され、風景が思い浮かび、空気までも伝わって来る。

撒き餌が抜群に上手いんだわ。サビの部分ですんなり泣ける。

 

やまぶき 朝霧 水車小屋

わらべ唄聞こえる 北国の

ああ 北国の春

兄貴も親父(おやじ)似で無口なふたりが

たまには酒でも飲んでるだろか

あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

 

この、こぶしの道を通る度、気が付けば、いつも「北国の春」を口ずさんでる。

いではく氏に、相当額の作詞印税を払わなければいけない。

 

作詞家、いで はく 氏は信州の生まれ。

間違いなく、「信濃の国」を空で歌えると思う。

 

「信濃の国は十州に / 境連ぬる国にして」から始まる長野県歌「信濃の国」。

長野県歌である「信濃の国」が信州の分裂を防いだと言われています。

長野県人なら誰でも歌える「県歌」なのです。

 

廃藩置県が設定された折、厳然と松本市と長野市の文化領域があった。

どちらにも意地がある。なかなか相入れないものがあったようだ。

 

長野県を一体化したいという願いを込め、

1899年、長野県師範学校教諭の浅井洌が作詞。

1900年、同校教諭の北村季晴が作曲した。

それが、いつの間にか県の歌になった。

 

真夏に開催されている甲子園での高校野球。

勝者は、涙を流しながら、自校の校歌を熱唱しています。

歌は、チームを、学校を間違いなく一体化する、そのチカラがある。

 

「北国の春」は、「信濃の国」生まれ、いではく氏が作った、みちのく東北の歌です。

北国の出身者、とりわけ、東北県人は皆んな歌える。

 

こぶしは、春の訪れを告げるように、他の木々に先がけて白い花を梢いっぱいに咲かせる。

来春のこぶしの白い花が咲く頃、願わくば、杖なしで歩きたい。

見通しが立たないのが辛いところです。

 

 

9月~10月、こぶしの実が熟すと袋果が裂け赤い種子が顔をのぞかせる。

赤い皮の下に白い油脂層があり、これが小鳥の大好物らしい。

 

可愛いい小鳥が、こぶしに咲いているような光景。

自然循環型社会という観点から、微笑ましく見ている。

 

種子本体は黒くて硬く、取り出すと可愛いハート形をしているそうだ。

食べたことがないから、それは知らない。

 

この歩道を掃除されている方に会ったので挨拶をした。

一私企業で、公道である歩道を、こんなに綺麗にされている事例は少ない。

純粋に、そのことに敬意を表する。

 

白い花が散る時は、掃いても、拾っても、際限なく落ちてくる。

「追いかけっこの仕事ですからね」

あっけらかんと笑顔で言われたことがある。

 

尊い仕事をさり気なく。

仕事が出来ない体になった者には眩しく映る。

「お世話になっています。いつも有難うございます」

感謝の気持ちで歩いています。

 

 

 

下肢の痺れとの闘い。

癌患者修行中。