7月31日(水)発売になる書籍付きSingle CD「抑えきれない僕らのJ-POP」のなかの

書籍の一部分ですが、僕と今作のディレクター西原伸也さんとの対談を公開しますね。
 

 

 

この話を読みながら、楽曲を聞いてもらえると更に、楽しんでもらえるんじゃないかと思います。
スマホで、PCで、どこにいても、なにをしていても様々な方法で発信できるいい時代になったなって思います。

      では、どうぞ!!

 

 


■西原 今回書籍付きの「抑えきれない僕らのJ-POP」って曲をリリースするにあたって色々と話できたらって思うんですけど 

 

 

■サカノウエ そうですね。こういう企画にしようって話になって、色んな人に懐かしのJ-POPについてレビューをお願いしたりしたんですけど、結構バラエティに飛んでいる人が協力してくれて面白かったですね。 

 

 

■西原 そうですね、思ったよりもJ-POPが好きだって人はオシャレな人の中にも沢山いたんだって思いましたね。 

 

 

■サカノウエ やっぱり再確認したんですけど、みんなちゃんとJ-POPを通っているていうか、色んなきっかけはあるにせよ、コアな音楽が好きな人も、偏った音楽が好きな人も必ず幼少期も含めてJ-POPは通っていることがよく分かりました。 

西原さんとかは多感な小中学生とかどんな感じで聴いてきましたか? 

 

 

■西原 まあ小学生中学生っていうのはJ-POPって意識もなく聴いていたのであれですけど、僕が意識して聴いていた時代っていうのは渋谷系とかが流行っていた時代で、あの頃はJ-POP てのは2種類に分かれていたと思うんですよ。1つはその「渋谷系」と言われるものでもう1つはいわゆるオリコンのトップ10に入るようなJ-POPで、僕はその渋谷系といわれる方を好んで聴いていたわけで、それ以外は全く興味を持っていなかったというか、でも今になって渋谷系じゃないとこ、例えばFIELD OF VIEWみたいな方がグッとくるようになったというか「J-POP」らしいなって思うのはこっちだなって思って最近良く聴くようになりました。 

 

■サカノウエ ちなみにFIELD OF VIEWのデビューは94年で95年に「君がいたから」「突然」「DAN DAN 心魅かれてく」とヒットしていくんですけど、この90年代の渋谷系から始まって、92年ごろから98年の間って黄金期じゃないですか?特に94年95年って、J−POPの100万枚が当たり前になってきた時代で、僕もそこからですJ-POPに触れていったのは 

 

■西原 サッカンのデビューって何年でしたっけ? 

 

■サカノウエ 僕のデビューは2000年ですね。僕が今日絶対に話したかったのは、西原さんが渋谷系などにアンテナを広げて聴いていたときに、僕は関西でラジオをずっと聴いていて、そのラジオから入ってくる情報が全てでレコード屋さんも一軒しかなかったですし、そのラジオで聴いてよかったものを買いに行くってことをやっていて、そのときの思い出で話したかったのは細川ふみえさんの「スキスキスー」って曲でピチカート・ファイヴの小西康陽さんなんですけど、たぶん90年代の渋谷系の流れを受けてディレクターさんが発注したんでしょうね。二枚目からは石野卓球さんですけど。 

 

■西原 あの頃って、ああいうタレントさんを渋谷系の人が楽曲を提供するってありましたよね。お茶の間のタレントさんをプロデュースするみたいな。 時代はちょっとズレるかもだけど「慎吾ママのおはロック」とかも 

 

■サカノウエ それから細川さんの次に興味を持ったのが飯島愛さんなんですよ。

飯島愛さんって94年に「あの娘はハデ好き」って曲がすごい好きで、歌詞も「あの娘はハデ好きチャチャ!」「青山のマンションチャチャ!」みたいな歌を歌っていて、僕は小さいときに東京の青山って凄いとこなんだろうなって思っていて、その時期からJ-POPに入り込んでいくんですよ。西原さんが渋谷系っていうのを聴いて影響を受けてたり、渋谷系の方たちがお茶の間のタレントさん、飯島さんや細川さんとかに単発系シングルで楽曲を提供していたものを神戸の片隅の田舎でラジオで聴いてはレコード屋に走っていたわけですよ。 

 

■西原 なるほどね〜。 あと僕がJ-POPで思うのは、あの時代っていわゆるトレンディードラマの全盛期でもあって、そのドラマに出ている主演の俳優さんってそのドラマの勢いで必ずシングルを出していたんですよ。織田裕二さんや吉田栄作さんや福山雅治さんもその流れだと思うんですけど。ああいうのは僕はわりと好きで、その中でも一番好きなのは唐沢寿明で「素直になれよ」なんですけど、僕は唐沢さんのアルバムは今でも聴いている。 あの頃の歌詞って飯島愛さんのもそうなんですけど、憧れた都会感や憧れた大人感がある。 

 

■サカノウエ 確かに、「青山のマンション」なんて今歌詞に出てきますか!?(笑)

 

■西原 でもの憧れた都会感や大人感って、東京に住んでみたり大人になったりしても一切そんなことって無いことに気がつくんだけど、 とっても夢があった。J-POPを聴いて色んな夢を見ていた。 

 

■サカノウエ 僕も東京に来たら空き缶を蹴飛ばしたり、地下鉄の風に吹かれたりするものだって思ってました。 

 

■西原 そうそう、でも今の音楽って、苦悩をよく歌ったりするじゃないですか? その苦悩をあまり歌わないところがJ-POPは良かったと思っています。

 

 ■サカノウエ そう考えると尾崎豊さんとかはJ-POPに入るんですかね? 

 

■西原 そうですね、尾崎はちょっとJ-POPとは少し違うかなとも思うんだけど、 

 

■サカノウエ 僕が西原さんと出会ったときに話していたことで共感したことがあって、尾崎豊論を唱えていて 「なぜ沖縄で尾崎豊があまり聴かれないのか?」ということで、沖縄は寒くないから尾崎の気持ちがわからないし、共感し難いって言っていてなるほどな〜って思ったんですけど。 

 

■西原 あ〜、息が白くならなきゃ尾崎の気持ちわかりませんからね。 でも尾崎豊もある意味ではJ-POPの1つの形かもしれないけど、いわゆる今回のJ-POPの定義とは少し違う気がしますね。 尾崎は尾崎ですし、メッセージ色が強いので。 今回の「抑えきれない僕らのJ-POP」のイメージっていい意味で苦悩していないんですよ。歌詞の世界も

 

 

■サカノウエ そうです。軽やかに駆け抜けていく若葉の時代を歌っています。 

 

 

■西原 それが初めて聴いた人は何年か経って聴いたときに切なく感じたり、昔J-POPを聴いていた人は昔を思い出して切なく感じたり、 それはJ-POPのいいとこかなって思うんです。 

 

 

■サカノウエ 実際に僕はお茶の間に溢れていた憧れた都会感や憧れた大人感のあるJ-POP聴きながら育ったので、 95年とか96年にギターを手にした僕はそういう煽りを受けて、僕は神戸なので「新神戸で彼女を見送る」みたいな歌詞を既に書いていましたもん。 でも僕は新幹線に乗ったこともなかったので、想像なんですよ。笑 だからJ-POPってのは苦悩を歌わない代わりに恋と愛の人の胸をしめつける情感を歌うのは幼心に伝わっていた。 

 

 

■西原 あと、今だからわかることもあって、吉川晃司と布袋寅泰のCOMPLEXをリアルタイムで聴いていたときって、ロックだって思って聴いていたんだけど、歌詞の世界とか今読み返してみると恋をとめないで』の歌詞とか「家の前でまってるよ、だれが引き止めても 土曜の夜さ連れ出してあげる」って完全にJ-POPだなって。多分ロックとJ-POPっ結構歌詞の違いってあって、RCサクセションとかはロックだと思うんだけど。COMPLEXはJ-POPだと。

 

 

■サカノウエ ただビートロックを追いかけていたリスナーは、そういう音楽を否定的に思っていたところはありますよね。 

 

 

■西原 それはありますね。でもさっきから言うように、その辺の垣根はなくなってきている。 サッカンが思う今のJ-POPってどんな風に思っています? 

 

■サカノウエ そう、壁とか隔たりがなくなったって思っていて、J-POPやっているからライブをさせてもらいないとか、可愛らしい音楽をやっているからロックのイベントには出れないとかそういうのはなくなってきていると思います。さっき西原さんがおっしゃっていたように、ロックもヒップホップも色んなミクスチャーも込のポップスになっているので、その中の1つにJ-POPもあって垣根がなくなっていると思っている。もちろんまだまだ、そんなのロックじゃないからうちではちょっとってのもありますけどね。 

 

■西原 でも、J-POPのイベントってちょくちょくあったりするじゃないですか?渋谷系とか聴きながら音楽語っていた僕とかみたいな人も銀座ジュエリーマキのCMとかでバンバンJ-POPが流れていたわけで、あんなのちょっと馬鹿にしていたりしていたわけで、でも確実に覚えていて、それがイベントで流れるとテンションはガンガン上がって、そういうのもあって受け入れられるようになってきたというか、サマーソニックにB'zが出ることとかそういうことに近い気がするんですけど。 

 

■サカノウエ 『ゲレンデがとけるほど恋したい』と聞いたらテンション上がりますし、スキー行きたくなりますもんね。

 

 

■西原 映画って、どんな年代のものを見てもその中の時代に入り込むというか、スマホがない時代の映画も気にならないというか、音楽は逆に思い出と共にあるというか、好きとか嫌いとか別の軸にあって、胸にくるというか、それがJ-POPのストレートな歌詞だとさらにグッとくる 

 

 

■サカノウエ 確かに、ただ音楽的にもレベルが高かったんじゃないかと思うんです。今楽器を使わずに音楽を作る人が増えていて、当然曲を作るということは手軽になっているんですけど、90年代のCMとかを聴いて情景とかを思い出せるのは、やっぱり音楽的にもやっぱり素晴らしいと思うんです。 使っているスケールとか和音の構成とか僕は浅倉大介さんにプロデュースされて、そのときの経験が自分のコード感の元になっているんですけど、分数コードというベースと和音を一緒に鳴らすというコードを弾き始めたりして、それを入れるだけで曲が華やかになって、和音だけで流せば尾崎豊さんのメジャーコードなんだけど、そこにベースを入れることで切なくなったり、聴かせ方がグッと変わるというか、音楽的にもピークな聴かせ方というのはJ-POPは凄いと思います。 

 

 

■西原 あとあの頃のJ-POPで思うのは、曲を制作する上でお金もかけれたじゃないですか? 

 

 

■サカノウエ そうですね、PVでもですけど直ぐにアメリカの断崖絶壁で撮るような 

 

 

■西原 レコーディングの状態も素晴らしいから今聴いても音にパンチがある。 

 

 

■サカノウエ 僕もデビューのレコーディングは渋谷にある文化村スタジオでクラシックとかアニソンとかゲームのファイナルファンタジーとレコーディングしているスタジオなんですけど、1日100万円とかする、そこでレコーディングしてましたもん。 

 

 

■西原 今はなかなかそんな予算掛けれない。 

 

 

■サカノウエ 昔、青葉台スタジオ(今も在る)とかオンエア麻布スタジオとかあったんですけど、今ほとんど大きなスタジオ少なくなりましたもん。当時僕が2007年に契約していたEMIは天王洲や溜池山王のビルの中にスタジオを持っていて、そこの大きいレコーディング・スタジオがあってオーケストラも録れるような、そこに来日したローリング・ストーンズがライブのリハーサルをしていて、そこからドキュメンタリー映画を撮ったとこなんですけど、 そのスタジオにはヴィンテージのレコーディング機材が沢山あって、まだ2007年でもそういうところでレコーディングができたんですけど、そこから一気にスタジオもなくなって、 でもあれですよ、そのときのSonyとか天王洲のEMIのスタジオとかで使われていた機材を西原さんに紹介してもらった奈良のMORGっていうスタジオをやっている門垣さんが買い取って、それを使って僕の『THE POPS』ってアルバムを作ったんです。だから、時間からくる哀愁は作っている側にもあるような気がしますね。あの頃の音楽を作っていた機材を使うってことで 

 

 

■西原 考え深いですね。 今回サッカンが『抑えきれない僕らのJ-POP』でどういうことを伝えたかったか、最後に聞かせてもらっていいですか? 

 

■サカノウエ 僕がこの曲で伝えたかったことって、ある種の贅沢感だと思うんです。

つまりさっきのスタジオの話とかキラキラな世界観とか、ワクワクする期待感というか、ミリオン狙うぞとか売れてやるとか、そういうポジティブな時間の掛け方からくる贅沢な作品が沢山当時はあったと思うんです。 それを僕なりに体現したときに、大人になった人だから聴いてほしい曲を残そうというところからスタートしているんですよ。大人になった今だから聴いてほしい曲って37歳になった僕はどんなことが歌えるかって思ったときに、やっぱりJ-POPだって思って、往年のJ-POPのフレーズや世界観を散りばめた楽曲を作ろうと、でも今は予算とかお金的な贅沢な作り方はできないから、その分膨大な時間を掛けて、その贅沢さを真空パックしていこうかと思ったんです。 だから一年くらい掛かっている。そういうのを作品にすることで「あの頃若かったな」とか「少し成熟したな」とかちょっと枯れ始めた自分の感性とか、そういうものを感じながら聴いてもらったときに、切なさすら感じるんじゃないかと思っているんです。 そういう色んなことを感じながら音楽を聴けることってとても贅沢な時間だなって思うんですよ。だから今回色んなことを感じてもらいやすいように書籍にしたりしているんですよ。 秦基博さんがギター一本で2014年に「evergreen」ってアルバム作ったんですよ。それをWEBで一曲づつ自分でラジオみたいに語る中で、どうしてこのアルバムを作ったかみたいな話が残っていて、それを照らし合わせながら曲を聴くと、めちゃくちゃ贅沢な気持ちがするんですよ。 ある意味この「抑えきれない僕らのJ-POP」も書籍とか付けているのはそういうことで、それを読みながら音楽に浸って欲しいなって思うんですよ。 西原さんは今回僕が相談したときどう思いましたか? それで書籍付きCDってアイデア出したの西原さんじゃないですか? 

 

■西原 実は結構単純なところもあって、僕らみたいな人って結構いると思っていて、渋谷系とか好きで、でも今になってあの頃聴いていなかったJ-POPを聴いてもいいなって思っている人が、 昔だったら、そういうの言い難くかったりする時代だった気がするんですけど、今って公言が許される時代というか、だからこそ今「この曲実は良かったんだよ」って少しでも表に出すことで 再評価して発言してもらえたらいいなって思って、それにテーマ曲があるともっといいなって思いました。それでイベントにも展開できそうですし 

 

■サカノウエ 信じられない名曲とかいっぱいありますもね。ビジュアル系のAcid Black Cherryがfish&chipsのハーシーって曲をカバーしたことって異例中の異例だと思うんですよ。20年前の隠れた名曲をカバーして自分のアルバムに入れたり、そういう時代ですもんね、昔だったらヴィジュアル系の人がJ-POP好きだとか言い難い時代だったし、本当に時代は変わった気がします。 

 

■西原 いや、ほんとにJ-POPの話をしたら終わりがこないですね。 

 

■サカノウエ ほんとそうですね。だから沢山こういう話ができるイベントも計画しているんですよね。 みんなで好きなJ-POPを持ち合ってプレゼンしてもらったり、最後には「抑えきれない僕らのJ-POP」をみんなで歌えたりしたらと、かなり楽しいと思うんですよ。 ■西原 それ最高ですね。 これからの「抑えきれない僕らのJ-POP」の展開が楽しみですね。