こんにちは。梅雨になりましたね。この時期は山小屋も湿度が高い上雨漏りしたりして大変です。ただ、アジサイが裏庭にも生い茂ったり、雨で涼しかったり、水が流れる音の水路を楽しんだり、幻想的な山並みの風景を味わったり出来ます。

 

 7月は演奏会にもいくつか行く予定です。ただ、仕事が最近疲れてその余裕がどれだけあるかが不安です。ただ、身体の疲労と同時に快適さもいっそう増してきてるので充実した日々で、瞑想や祝詞の奏上も身についてきました。

 

 来週月曜は、海外の聖歌隊によるコンサートに行ってきます。タリス・スカラーズという十名からなるコーラスによる天上の歌声を堪能してきます。動画がいくつかあるので、普段からそれを鑑賞していますが、これこそヒーリング音楽の極みというか、聴いてるだけで身体が浄化されるようです。実際に生の歌声を聞くとこれがどうなるのか、数ヶ月前からチケットを入手して構えて来ました。ここで日ごろの修行の成果を発揮してサマディー体験できればと思います。

 

 々の修行というか行も大事ですが、霊的になると、その目に見えない存在とのコンタクトも重要になっていきます。最近は、守護霊とか指導霊とか言う存在もトレンドになってきて、スピ界でも浸透してきてるようです。私も祝詞の後とかには祈りを踏まえて守護霊に意識を向けて感謝の念を伝えるように心がけています。

 

 ここで、今の時点で私が認識してる霊存在とか死後の世界とかの事について触れてみようと思います。私にとって守護霊というのは、自分をガイドしてる縁のある存在です。それは恐らくは肉体のご先祖の方か、グループソウルといって、霊界で一族となって暮らしている母星の仲間達です。私もどこかの星から地球に来てる存在でその一族が交互に守護し合っている、多くの地球人がそうであるように、そういうグループ分けがされています。

 

 それで、その一族から、ある段階になるとその中で夫婦になったりするようですが、その私の伴侶が守護霊を交代でやりあったりしれるようです。以前に、霊能者を通じて度々コンタクトを取ってきた女性の霊は、そういうことです。ギリシャ神話の女神になぞらえてウェスタと呼んでいましたが、元々私の一族の者のようです。

 

 何で分かるかというと、私もペンジュラムで調べてどうもそういうことらしい、というわけです。実際ウェスタその人かというとそうではない。ただ、そのシンボル的存在としてそういう名にしてるということで、そういう機会があったので私にコンタクトをとってきたようでいや最初から元々繋がっているのです。

 

 同様に、多くの人が、というか誰にでも縁のある守護霊は必ずいるので、それは次元の高い、この物質界より高次の存在で、常にその人を見守っています。なのでそれに意識を向けるのは成長に有意義なことになります。

 

 次に宗教や神話で言う、神様、天使、仏、妖精、といった存在はでは何なのかという話です。まず、前提として宗教や神話、その他伝承されたものは基本として人が想像したファンタジーの世界であってそのまま実在はしません。先ほど述べた通り、神様はシンボル的な民族の象徴的存在でアニメのキャラに相当します。ですが、人の念が意識を込めると実在するかのように働きかけます。これが現代ではアニメ漫画小説の世界でして、本当にそういうファンタジー劇場が霊界に築かれて、その中で遊園地みたいに霊が楽しんだりしています。

 

 これが宗教、神話のトリックでして、そういう仮想空間を共同で創作し民族の統合や政治治世、さらには霊性の進化を促してきたのが宗教の果たした役割になります。

 

 ですので、神話の神々は基本霊界にも存在はしません。

 

 ですが、神話がファンタジーでその神々がいないとはいえ、そのモデルとなった霊存在はいくつかいるようです。なので、一部の真理は含んでいるのも事実ですが、そのまま真に受けても仕方ありません。で、神の正体はというと、これは高度に進化した宇宙人達というこで良いと思います。

 

 次に天使とは何かですが、これが神様とごちゃ混ぜにされてるようですが、神と天使は全くの別存在です。天使というのはこの世界をプログラミングした、裏方の存在で、宇宙というかマトリックス世界のプログラマー達です。あの映画にもそうした世界をクリエイトできる鍵師とか預言者とかが出ますが、あれが天使の役割で、霊存在とは似て非なる謎の者たちです。と、ある本にも書かれていて(笑)凄く納得できました。

 

 

 あと妖精とか竜神とかいうのも人間としての霊存在とは別の、この世界を安全に調整してる存在で、これにアクセスできるといろいろ可能になるというのが天使で、仏教では○○天とか何とか観音とか、そういう存在になんとか援助を求めてるのでしょう。

 

で、最後に仏とは?

 これですが、実は人の意識レベルの象徴として定義された存在で、一応実在の人物ですが、それよりも、底に到る悟りの段階として捉えるのが重要です。仏を信じるというのはこへ到る意識レベルに向かう手段であって、地球を抜け出す、解脱するためのマップとして捉えるものです。

 

 こうしてみると、それぞれの民族で、いくつものファンタジーワールドが霊界に開かれているのが分かりますが、まさに現代のヴァーチャル世界がそのものです。カリスマのある人がネット上でそういうサイトグループを作り、それはあくまで仮想空間なのですが、そこに制限を設け、その中でルールを設けそこで楽しんだり、または修行したりもする。そこが合わなくなった人は、また別のとこに移ったりとしている。ここまで書くと、どこかの宗教やグル達が言う、異教徒は滅びるとか、それは悪だから裁かれて魂も無くなるとかいうカラクリもよく分かるのではないでしょうか。その集合意識内に住むための、そこ仮想空間のルールで、そこではその創始者が全てを決めてるので、その仮想空間の中でのみ通用する世界観でそう言ってるということです。