木浦鉱山です。宮崎県日之影町と大分県佐伯市(旧宇目町)の境にある古い鉱山町です。鉱山の歴史は古く、400年とも1500年とも言われます。
そして木浦鉱山は”宇目の唄けんか”発祥の地です。
最盛期に数千人いたとされる人口も今は43人とのこと。70歳以上が7割を占めるというから50~60代は若手かもしれませんね。
ぎりっちょが佐伯市にいたころは宇目町、その前は小野市村、その前が木浦鉱山(村)、そしていまは佐伯市となっていますが、市中心部からは車で一時間ちょっとかかります。
木浦鉱山では主に錫とか銀とかを産出していました。鉱山作業の様子を描いた図が民宿に貼りだしてあったのでちょっと紹介してみます。
鉱山と聞くと大規模な採掘を想像されるかもしれませんが、ここは小規模の坑口が10数ヶ所あって近年まで殆んどが人力という極めて小規模なものでした。
図にある様に作業はほとんど手作業で行われていました。(民宿梅路にて)
賑わっていた頃は赤提灯、芝居小屋、木賃宿、さらには数軒の遊郭もあったようです。いまでは想像もつきませんが。
うまく鉱脈を見つけることができれば大儲け、失敗すれば路頭に迷うといった探鉱師や鉱夫たち、その家族、商いをする人などが出入りし栄枯衰退が繰り返されてきたようです。
民謡”宇目の唄けんか”はそのように木浦鉱山が賑わっていた頃、子守奉公として近隣周辺からやってきた子守娘たちの間で自然に生まれました。
二組に分かれて即興で言いあう子供の姿が想像され、ちょっともの哀しくもありますがとてもいい民謡です。歌詞だけですが少し紹介してみます。興味のある方はユーチューブで音楽を聞いてみてください。
「下手な唄でん泣くよりゃ よいよいち」
”梅の唄けんか”
♪
(1) あん子つらみ~よ目は猿まなこ~ よいよい 口はわにぐち~ えんまがお~ あよいよい
(返) おまえつらみは ぼたもちかおじゃ~ よいよい きなこつけたら なおよかろう~ あよいよい
(2) いらん世話やく 他人のでげどう~ よいよい やいちよけれ ば~親がな~く あよいよい
(返) いらんせわでもときどきゃややかにゃ~ よいよい 親のやけな い~世話もある~ あよいよい
(3) わしがこうしち 旅から 来ちょりゃ~ よいよい 旅のものじゃ と にくまるる あよいよい
(返) にくみやしません だいじにします~ よいよい 伽じゃ伽じゃと あそびます~ あよいよい
(4) ねんねねんねと寝る子は可愛い~ よいよい 起きちなくこのつ らにくさ あよいよい
(返) 起きちなく子は田んぼに蹴こめ~ よいよい あがるそばから また蹴こめ~ あよいよい
・・
・・ このままず~っと唄いつづけます。
・・
(22) 唄の名人来ちょるこたしらんじ~ よいよい ひとつ唄うたら返 された あよいよい
(返) この子かるうのも今日かぎり~ よいよい 明日はからすの泣 きわかれ~ あよいよい ♪
大分弁がやけに情緒的に感じます。
鉱夫や大きな農家に子守り奉公に来た7、8才~12、3才の娘たち、朝早くから晩まで子守として暮らしました。夕方になるとお腹は空き、寒さにふるえ、子の重みが肩に食い込む上乳房を欲しがって泣きたて、子守もまた泣きたくなりました。
そんなとき、誰かが唄いはじめると、どこからともなく人が集まってきて、自然に二組に分かれて唄い合いました。仲の良いグループとそうでないグループ、奉公に来た娘たちと地元で妹や弟の子守をする娘たち、あるいは地元の娘たちと木浦に来た娘たち、又は数合わせのように自然に別れました。
はじめは穏やかに、次第に喧嘩調になり、そしてあ互いの辛く悲しい心を歌い、慰め励ましあったのでした。そんな唄です。
もうずいぶん前の話しですが、佐伯市内のある宴席でお年寄りが座布団を赤子替わりにおんぶして踊りながら歌われたのがとても印象的でした。その当時から木浦鉱山に一度は行ってみたいと思っていました。
初めてと思いきや行ってみてびっくり。民宿のご主人と話す中で、実は何度かこの木浦鉱山に仕事でやって来ていたことに気付きました。
途中のヤマメのいそうな美しい川を見て、まちがいないと確信しました。(笑) すっかり忘れていたんですね。
今回はもう一つの文化財である2年に一回木浦鉱山地区で行われる ”すみつけ祭り”に合わせて再びやってきました。次回はその”すみつけ祭り”をご紹介する予定です。