なんか、またバーベキューに誘われた。
今度は、後輩の若い男性。
他部署にいる、仕事上ではあまり関わる事がない人だ。
彼はとても人懐っこくて、誰に対してでも、いつも明るく、朗らかな人。
私は基本的に、自分から他人に関わらない。
おしゃべりが得意ではないし、交友関係を広げたくないタイプだ。
なので彼に対しても、特別、親切にするでもなく、何かしてやるでもない。
接点があるとすれば、時々、会社の登山部で一緒になるだけだ。
にも関わらず、彼はなんか知らないけど私の事を気に入ってくれているらしくて、いつもにっこり笑顔で、挨拶をして、少し話しかけて、自分の仕事に戻っていくのだ。
私は、私自身の事を、魅力のない人間だとは思ってない。
自己肯定感は、案外低くはないのだ。
何かしら、私にも魅力はあって、そんな私の事を好んでくれる人に対して、私の何かがフックする所があるんだと思う。
ただ、私自身は、それが何なのかは良く分からない。
魅力はあると思う。
周りの人の振る舞いで、それはなんとなく感じてる。
自分では分からないってだけで。
自分で自分の魅力を理解する事が出来たら、もっと生きやすいのかなって気はする。
自分の魅力は別として、最近、ちょっとずつ他人が分かってきた。
たぶん世の中に存在する、ある一定の人は、自分から他人に接していく事に、さほど抵抗がないんだと思う。
私は、私から他人に関わっていく事がないのだけど、人は、どうやら好きな人に対しては、自分から積極的に関わっていくもののようだ。
その勇気が羨ましい。
だから私は、彼の人懐っこさが羨ましい。
しかし、なんだろうな、彼の事、全然嫌いではないし、良い人だな、社交的で明るい、魅力的な人だな、と感じはする。
しかし、なんかいまいち、好きかどうか、で問われたら、普通、という感じがしてしまう。
私は基本的に、男性より女性が好きだ。
恋愛的な意味でも、友人的な意味でも、女性の方が気楽に接する事が出来る。
彼の事、嫌いではないし、誘ってくれた事が嬉しい。
けれど、以前私を誘ってくれた、いつもブログに出てくる女性に誘われた時の方が、断然嬉しかった。
なんか、私を好んでくれて、わざわざ誘ってくれた彼に対して、こんな事を思ってしまう自分の事が、申し訳ない感じがする。
会話は苦手だ。
普通の感性の中で生きる人との、適切な会話がよく分からない。
いつも、何か深く考えながら、人と話をする。
こういう時は、このように返事をすると良いんだよね?
こういう投げかけには、このように返事をすると良いんだよね?
私はいつもそのように、ある種のテクニックのようなものを使って、人と会話をする。
これは、私が今日に至るまで、人との関わりに対するコンプレックスを払拭する手段として、ある程度の勉強と、努力を伴って身につけた、後天的なスキルなのだ。
だから、楽しいとか、嬉しいとかよりも、他人に不快な思いを抱かせないような振る舞いをする事で、人の輪の中に自分を留めておく事を可能にしていると考えている。
このテクニックが、ある意味で上手く機能しているから、人は私に寄ってくるんだろう。
他人が求める私になる。
それが、私の処世術。
そして、他人の鏡である事。
これが、私が他人から身を守る方法。
それ故に、自分が相手を好きでも、相手が自分を好きではないのであれば、私にはどうする事も出来ない。
相手が私を好きなのであれば、私は来るものを拒みはしない。
その人の、私に向けられた好意に報いるべく、私はその人に対して礼節を持って対応する。
その中で、私の所に留まる人もあれば、次第に私から離れていく人もいる。
私はそれを、船のような感覚で捉えている。
そして私は船着場。
彼らもいつか、どこか別の大陸に向けて、旅立つ時がくるのだろう。
その時、私と彼らの関係は終わりとなるのだ。
今回バーベキューに誘ってくれた彼は、月間のお休みを確認して、後で日程を連絡してくれるらしい。
彼と親しい、これまた人懐っこい女性も、一緒に来るそうだ。
彼らはお付き合いをしているのかな?
そんな気がする。
私のような人間が、彼らに対して、何か彼らが求めるような楽しい時間を提供出来るものなのか?
なんか前のバーベキュー計画の時も、こんな事で悩んだな。
まぁ、前回はとても楽しかったし、今回も楽しくなるといいな。
しかしな、どうもテンションが上がらないな。
躁鬱のあの子は今頃、JO1?とやらのライブ、楽しめているかな?
こちらは結構、強い雨が降っているけれど、あちらはどうだろう。
横浜で開催されるらしい。
私には関係のない事だが。
なんかもっと、暖かい人間になりたいな。
彼らみたいな、朗らかな人間になれたら、私ももっと、楽しく生きられるのだろうか。
他人の、良い所をお手本にして、私は私のスキルを磨いていく。
これまでも、私はそのように生きて、今の私になった。
心までもそのようにある事は、出来ずにいるのだが。
私が最近、気になって仕方がないとしているあの綺麗な女性も、ある意味では、彼と同じなんだろうな。
彼は男性だから、私の興味がいまいち向かないだけで。
そして彼女は女性だから、私は少し勘違いをしてしまうだけで。
ただそれだけなんだろう。
きっと皆の中では、男性間、女性間という事にはあまり頓着がなく、それ故に、親しくなる為のボーダーラインが、私が考える以上に曖昧なんだ。
私は昭和産まれの古い人間だから、男性、女性の差を明確にしているけど、彼らのラインは不明瞭であるから、だから、彼女は私に対して、なんかあんな感じなんだろう。
もう、彼女の事を特別に意識するの、やめよっかな。
妻と子が、私の元を離れている間に、会社の人達との交流が深まってきた感覚がある。
今日、結論を出そうと思う。
彼女は、私の事、別に異性として好きな訳ではない。
そういう結論にしよう。
私は、もっと、妻の事を大切にしよう。
私は、もっと自我を強く持つべきだ。
妻は、私の事を思ってくれている。
酷い事も言う。
私を束縛する。
私の自由を奪う。
私に要望を伝える。
しかし、妻が私の為に、これまでに尽くしてきてくれた事実は変わらない。
そして今も、私の病気の為に、離婚を選択するのではなくて、一時的に私を自由にする事で、私の回復を望んでいる事も事実だ。
二人の子供を背負って、その負担を一身に背負い、自身を疲弊させてでも、私の為に、その選択をした。
そして現在、早く私の元に帰りたい、早く家族で暮らしたいと、私にそう伝えてくれているんだ。
私は、妻の要求の全て応じるの事は出来ない。
だから、まずはこれをやめる。
『私の意思を持った上で、自分の主張をし、時に押し通した上で、妻との幸せを考えていく。』
そうやって生きていこう。
家庭を、大切にしたい。
妻の意思ではなく、私の意思で、今はそう思う。
彼女がバーベキューに誘ってくれた事。
そして彼が、私を誘ってくれた事。
周囲の人々が、私を好んでくれる事。
この、いくつかの点において、それを一つの線として結びつける事。
それを経て、私は学習する。
私は、もっと私を大切にする。
他人に流されず、自分の意思を持つのだ。
もっと他人を思う。
スキルによってではなくて、気持ちで。
そして、妻を、もっと大切にする。
以前のように、妻にも優しい思いを向けよう。
私は、いつも人に助けられる。
いつも人に気付かされる。
みんなが私を好きでいてくれるように、私もみんなの事を好きになりたい。