昨日、寝る前に書いた自分のブログを読み返していて、また少し思い出した。



そう言えば私は、あの子に専用の肌着を縫ってあげたんだった。


私は手先が器用で、多少、お裁縫が出来る。


なので、西松屋で買ってきた肌着をカットして、産まれてくる子供と一緒に燃やしてあげようと思って、すごく小さな肌着を作ったんだ。


14週で産まれてくる事など、もちろん西松屋は想定してないはずだ。

サイズが無かったんだ。


だから、作った。



ただ、身体が膨らんでしまって、人の形とは言い難い娘には、とてもその肌着を着せる事は叶わなかった。


でも、私達の思いは、届くよね。

そんな事を話して、火葬場で焼いたのだ。



骨は、バラバラになってしまった。


まだ、あまりに未成熟であった私達の娘は、その骨も未成熟であった為、頭骨であるとか、大腿骨であるとか、そういった比較的残りやすい部位さえ残らず、全てバラバラになってしまったのだ。



その骨は、お墓に埋葬する事はせず、仏具店で買った、小さい骨壺に入れて、自宅の棚に置いてある。


長女と、次女の、へその緒なんかと、一緒にしてある。




私の人生には、悲しい事が、いっぱいあった。


でもこの時の経験は、人生の中で、最も苦しい時期であったように思う。



今は、あの頃と比較すれば、まだ随分とマシだと思う。


私はこれまでの経験で、随分と訓練された。


苦しさ、悲しさに対して、私は鈍感になった。

辛い事があっても、泣いたり騒いだりもせず、無表情に、淡々と語る。

そうしてやり過ごす。


人は、あまりに苦しい出来事が続くと、感情が平坦になるらしい。



時々、感情を失ったなどとふざけてほざくバカがいるけど、感情を失ったと感じるのは、本人ではない。

周囲なのだ。



私にはいつの時も、感情があった。

それが露出しなくなってしまっただけだ。


そんな私を見て、周囲の人間が、

『あなたって感情の起伏が薄いよね。』

などというものなのだ。




でも現在は、怒りたい時には怒るようになったし、悲しい時には泣けるようになったな。


私がもっと若い頃は、もっと淡々としていて、周囲の人は私の事を、何を考えているか分からない、感情の薄い人、などと思っていたらしい。




結婚して、私の苦しい思いを、妻は沢山受け止めてくれた。


それから私は、こんな私にも、こんな幸せがあるんだって思った。

こんな私の内面も、受け止めてくれる人がいたんだなと知った。


だから、結婚したからこそ今の私がいて、妻がいたから、私は今の私にまで浮上出来たのだ。




もっと深く、まるで先の見えない、無限にも感じられる虚無の日々に、私は妻と出会う事で、

『人並みに幸せになる権利は誰にでもある』

と感じられるようになった。


だから私は、いかなる出来事があっても、苦しむ事や、悲しむ事こそすれど、絶望などしない。


いつも未来の為に、懸命に生きていこうと頑張る意思がある。




私は人とは少し違うと思う。

独特の価値観と感性を持ってる。

そしてとてもネガティブだ。


しかし、それ故の前向さも備えている。



日々、どうにもやるせない、憂鬱な心境ばかり綴っているが、こんな事には慣れっこなのだ。


酷い目にばかりあってきた。

本当に理不尽な事が多いこれまでの人生であった。


今更一つ病気を患った所で、そんなものは私の体験してきた事の、ほんの一部でしかない。



良い事も沢山あった。

これは事実なんだ。


この先にも、理不尽な事はきっと沢山あると思う。

でも、良い事だって沢山あると思う。




私は、もう訓練されている。

自分の感情が破綻しないように、コントロールする訓練を。


私のバランス感覚は、非常に優れていると思う。

毒も薬も使いこなせる自信がある。


どんなに憂鬱な気持ちになっても、所詮それは気持ちがそうなっているだけだ。

それ以下はない。



私の今は、私の人生で最も恵まれているという事実を、わたしは理屈で認識する事が出来ているから。