私は、いつも人の鏡たらんと行動する。



すなわち、私に優しくしてくれる人には、私も優しくするという事だ。

しかし裏を返せば、私に攻撃をしてくる人には、攻撃もする事を厭わない。


そして私は、私に攻撃をする人間を決して許さない。

二度と私と戦おうなど思わせない。

私を軽んじると、どのような反撃が待っているのかという事を、思い知らせる。


私には、そのような攻撃性がある。



私の事を、穏やかで、優しく、紳士的だと思ってくれている人は結構多い。

しかし、完璧な人間などいるはずもなく、私の内面には、怒りから起こる攻撃性が備わっているのだ。




私が適応障害に陥るよりも少し前、会社の上司と揉め事があった。

この、揉め事に至るまでの事を、少し振り返ってみる。



私は当時、セクションリーダーを務めていたのだけど、妻が二人目の子を出産する予定日に合わせて、育児休暇を取得する予定であったのだ。


その頃は、丁度立て続けに、優秀な人材が流出していた頃だった。



私の仕事における基本的な行動原理は、

『頑張っている人が成功出来るように、自分の知恵と経験を持ってサポートしてあげる事』

である。

私自身は、積極的に前に出るのは好みではない。


若い人は、みんな意欲がある。

目的がある。

夢がある。

キラキラしている、とでも言おうか。


しかし、そのキラキラした心の中のビジョンを、出力する手段を知らない人は多い。

内面のイメージを、どうやって現実的なものに変えていくのか?

そのノウハウを、まだ彼らは知らないのだ。


私は、彼らとは逆だ。

私はノウハウを知っている。

合理性に基づいて、順序立てて物事を進める事が、私は得意だ。


ただし、夢がない。

理念がない。


目の前にある、既に明らかな問題を解決する事や、方向性の定まったゴールの明確な物事に取り組むことは可能なのだ。

しかし、無から有を生み出す事が出来ない。

新しいアイディアだとか、ロマンを感じる取り組みが出来ない。


年齢もあるだろうが、性格的な部分が大きいと思う。



みんなは楽しそうに、こうやったら良いんじゃないか?

こうやったら面白いんじゃないか?

そうやって、新しい発見をしていく。

そういう、発想力、爆発的なエネルギーというものが、私にはないのだ。



この爆発力は、とても強力な武器である一方で、身を滅ぼすものにも繋がる。


何かを成し遂げたいものが大きいのに、それを実現させる為に頑張っているのに、その手段が稚拙であり、成らず、力尽きて倒れ、去っていく。



私は、そういう若い人を、何人も見てきた。

そして私自身も、若い頃に挫折をしたものだ。


だから、私はいつも、何かを成したいその人の下について、その成し方を教える事を、自らの役割と捉えるようになった。

夢のある人達を、知恵、知識、経験を持って、理論的に正しい方向に導く。


そのようにして、チームを引っ張ってきた。


私は、自分が積極的に前に出るのではなく、皆を前に出すために、みんなよりもほんの少しだけ先を歩くように働いた。


そんな私であるから、その当時は、

『あの人も辞めちゃった、この人は施設異動をしてしまった、〇〇さんが育児休暇になったら、このセクションの改善は進まなくなる』

という話になったのだ。



そこで私は、当時の私の上司に相談した。

『私はもう、まもなく育児休暇を取得する。

そして、育児休暇後も、恐らく子供のお世話や妻のサポートの為に、これまでのように満足に働く事は出来なくなると思う。

だから、私の変わりに、あなたにはこのセクションの現状の問題点を認識してもらって、責任者として皆を導いてもらいたい。』

と伝えたのだ。



これに対して何を思ったのか、冗談のつもりなのか、彼はホワイトボードに、

『〇〇さん、何月以降はポンコツ、その後の対策』

などといった感じの書き始めた。


これに対して、私は激怒する事になる。



ちなみに、この上司というのは、私より年下の、新米上司だ。

先任の方が適応障害を患って、責任者を辞退。

この後釜に収まったのが、このポンコツ発言の新米上司なのだ。



私は、先任の上司の元では、

『このセクションの事は、全面的に〇〇さんの判断で動かしてもらって構いません。

〇〇さんの戦略への理解力はかなり高いと思っていますし、チームを引っ張る役割もになって頂いており、私との目線はほぼズレが無いと思っています』

とまで言われていた。


しかし新上司は、はっきり言って先任には遠く及ばず、理解力もなく、発想力もなく、戦略的な思考が出来ない。


その為、私は彼に対して、何度も提言をしてきたし、現状の課題であるとか、新上司の取り組みに対して指摘を行ってきた。


そのような事もあったからから、私の事が気に入らなかったのかもしれないし、軽んじていたのかもしれない。



まず、何であれ、私はもう不在となるのだ。

従って、残される若い皆さんが挫折せぬように、新たな責任者である新米上司に、その後を託して、彼らを導いてやってほしいという事を、私は彼に求めたのだ。



これに対して、前述の

『ポンコツ』

である。



私を侮辱する彼に対して、私は極めて強い憤りを覚えた。


ただし、もちろんすぐには戦わない。

その場で怒鳴ったり、喧嘩したりするのは馬鹿のやる事だ。


その後私は、周囲のスタッフに仕掛けを打った。

言われた事実について、愚痴をこぼした。


人事総務、他セクションの責任者、会社の総責任者を含めた上で、彼の発言を事実として明らかにする仕掛けを打った。


まぁそもそも、発言だけではなく、書いちゃってるので、そんなに難易度も高くなかったのだけど、彼に対して私は事実を認めさせ、全面的に非を認めさせ、会社の総責任者を引き摺り出し、新上司の行動に対して謝罪を引き出した。


会社の総責任者が認め、謝罪した以上、これはもはや会社としてパワハラ発言があった事を認めさせたという事である。


この事により、数ヶ月後、新上司は降格した。

現在では、また別の優秀な上司が、その任を担っている。




私はこのやり取りにおいて、全面的に勝利した。

しかし、労基には行かなかった。


結局、そんな事をしても、会社の社会的な評判が悪くなり、売り上げが下がると、私が損をする。

私達みんなが損をするのだ。


そして、そのポンコツ発言野郎は、ちょっと頭が良くないだけで、別に悪人ではない事は知っている。

彼にも妻がいて、子があるから、私は彼に謝罪をささた事で、もう水に流す事にした。



このやり取りの中で、彼に伝えた事がある。


『一人の会社員としては、この事の端末に対して、謝罪を受け、総責任者からも謝罪があったという事で、私はこの矛を納める事とするが、私という一個人、人間としての私は、あなたを決して許さない。


二度とこのような軽率な発言は、他の誰にも行うべきではない。

私は、あなたは責任者たる器量を持たない人間だと思っているが、あなたにも家族が有るのだろうから、処罰を求めるものではない。

ただし、今後のあなたの振る舞いが適切であるか、私は常に見ている。

あなたが責任者たるに相応しいものであるかどうか、決めるのは私ではなく、この会社であるが、今回このような事が起こったという事実は記録としても残っているのだから、それを踏まえた上で、責任者として相応しい振る舞い、発言を改める事を私はあなたに対して要求しますし、それが叶わないという事であれば、今度こそ私はあなたを許さないし、しかるべき処置を検討するものです。』


という言葉で締めくくって、この一件は終了した。




私は、この一連の出来事に対して、とても体力と精神力を消耗してしまった。



親や姉妹とのいさかい。

妊婦でイライラして攻撃的になる妻。

イヤイヤ期の始まり出した娘。

少ない睡眠時間。

自由のない毎日。


ここにあっての、この顛末である。


この一件が、最終的に私を適応障害へと導いた、最後の一押しであったように思う。



彼には勝ったし、その後彼は、二度と私に対して失礼な態度を取らなくなった。

というか彼は、もう私の上司ではなくなった。


すれ違っても、どこか恐る恐る私に接してくる。

挨拶も欠かさない。

二度と私に立ち向かって来る事はないだろう。




しかし、この争いを経て、適応障害による休職を経て、学んだ。


戦う事は大切だが、失う事も多い。

だから、戦わずして勝つ、もっと精神的な負担が少ない戦い方を考えるべきだなと思うようになった。



私は、この先の人生、多少私に攻撃を仕掛けてくる人がいても、受け流せるようにしないとならない。


そうじゃないと、勝ち負けではなく、互いに疲弊する。


相手が疲弊するのは勝手だが、私も疲弊するのはもううんざりである。


戦えない人間には、戦え、と言うが、戦える人間ならば、もっと賢く立ち回れ、と言いたい。


争いは疲れる。

私はもう、人と争わないように生きていきたい。


なので、他人を見ない。



人は人の鏡なのだ。

だから、私の鏡には、良い人だけをうつしていたい。

嫌な奴が映り込まないように、嫌な奴には出会わないよう、未然に防ぐ事が肝要であると、現在は考えている。