後輩に、とある若い女性スタッフがおり、その人は躁鬱を患っている。


ユーモアがあって冗談も分かるし、頭も良くて、控えめだけど仕事も出来る。


あまり自分からは前に出ないが、人とは普通にコミュニケーションを取れる方で、普通に接している分には、全く鬱であるとか精神病であるとかを感じさせない人だ。



そんな彼女が、どういう理由かは計りかねるが、私にだけ、躁鬱を患っている事を教えてくれた事がある。



私は、それ以前から、その人のリズムやテンポというか、声のトーンとか、立ち振る舞い、好きなもの、感性にシンパシーを感じていた。


その人も同様のようで、みんなでMBTIの話をした時、◯◯さんは私と同じなんじゃないですか?

みたいな事を言ってた。


実際には違ったが。

(ちなみに私は擁護者だった)


なお、念の為に断っておくが、彼女と私の間に恋愛的な要素はない。



何であれ、そんな感じだからこそ、私には病気を打ち明けてくれたんだと思う。


実際、私も病人だからか、それ以降もバイアス無しに、フラットに接している。



彼女も、最初は適応障害と診断を受けたそうだ。


しかし、繰り返される感情の上昇と降下、長引く状況の中で、適応障害が躁鬱に移行してしまったという話だった。



私と違う点は、彼女は自分の病をオープンにはしていない事だ。


みんなには隠している。

総務や上司にも言ってないらしい。


言葉に出して伝えるには、勇気がいるのだそうだ。



私は結婚していて、子供もあるから、もう正直、力になってあげたいと思っても、それは出来ない。

それは私の役割ではないのだ。


というか、私にはその資格がない。


人間というものは、こと男女間においては、いかに親しく価値観が近くとも、適切な距離を持って対応せねば、全てを失うリスクを内包する。



私にだけ教えてくれた彼女の思いは、私には計りかねるが、いずれにせよ、少し体調が悪そうにしている時に、

『大丈夫?少し休憩室に行ってきたら?』

と声をかける程度。


私は彼女の幸せを願っているが、別に何もしてやらない。

それで正しいと思ってる。



躁鬱って治るのかな?


正直、精神的な病を患うような人間というのは、かねてより、何らかの要素を本質的に抱えていて、それが何かのはずみで露出しただけの事だって思ってる。


私は適応障害と診断される以前から、根本的にネガティブで排他的で、過去に不遇な体験をして生きてきたという背景もあったので、正直、適応障害と言われても全く驚かなかった。


なんなら、

『ああ、やはり、いつかはこんな日が来ると思ってた、今日だったんだな。』

などと、妙に納得してしまったものだ。



彼女は、自分の病気をどのように捉えているのだろう?

オープンにしないって事は、私ほどは開き直って向き合えてはいないのではなかろうか、と思う。



人は、どうして苦しむんだろう。

全ては心の在り方で決まるのに。

冷静に考えれば、別に苦しむ必要なんかないのに。

元気な時は、何も気にせず笑ってられる瞬間もあるのに。


なぜ苦しむんだろう。

なぜ幸せになれないんだろう。

なぜ思い悩み、病を患うまでに至るんだろう。



この先、何百年も人類が存続したら、この苦しみに対する対処法も研究され、幸福に至るノウハウも確立されるのかな?


そういう時代が来るなら、そういう時代に産まれたかったな。


まぁそんなもしもの未来はどうでも良いが、いつか彼女が、健康な精神を得られる時を願っている。



…他人の事を気にする前に、お前自身の事を気にするべきだろう、という所ですがね。