皆さん、お久しぶりです。


先日、駿台全国記述模試を受けてきました。

現役の時はそもそも存在を知らなかったのですが、噂に聞くととても難しいとの事だったので、かなりドキドキしていたのですが、想像しているよりは難しくありませんでした。数学とか新スタンダード演習レベルの問題しか無かった気がする。そういって実際の判定低いのがオチなんだけどね。

あ、でも英語は難しかったです、形式が東大とほぼ一緒だったので、かなり意識していると思います。


あと何となく国語も受けました。東工大なら本来は要らないのですが、一応東大の判定も知りたいなーって思って受けときました。

古文分からなすぎて「めっちゃ高貴すぎてヤバいから」って書いたところあります。大体あってるっしょ。


その国語の試験の物語文で、戦争、特に沖縄戦に触れた場面がありました。なので今日は、少しその話をしようかと思います。


皆さんは、戦争にまつわる施設に訪れたことはあるでしょうか?例えば広島の原爆ドームや長崎の原爆資料館、例えば東京の東大和市の旧日立航空機立川工場変電所など。

痛ましい戦争の記録が刻まれていて、脳裏に焼き付くとはこの事かと思うほど、一度訪れたら鮮明に記憶されると思います。

僕は旅行好きのおばあちゃんによく連れられ、様々なそういった施設を訪れてきたのですが、中で最も衝撃の受けた施設がありまして。それが小2か小3に訪れた、沖縄にあるひめゆりの塔です。


ひめゆりの塔自体は慰霊碑のようなもので、皆さんもきっと知っているであろうひめゆり学徒隊やその関係者への献花が沢山置かれています。広島の原爆の子の像みたいなものです。


そして、そこには資料館も付随しています。

初めは、普通と形容するのもおかしな事ですが、他の資料館にもあるような所謂歴史の解説だったり、遺品だったり、写真だったり、そういうものが並んでいました。

それだけでも勿論十分戦争の悲惨さは伝わってくるのですが、そこにはそれらを凌駕する、目を背けたくなるものがありました。

つい1時間前まで沖縄の独特な異国感に浮かれ、エメラルドの海に視界を奪われ、サーターアンダギーを頬張って、そうして沖縄の明るい雰囲気に包まれていた頃、その施設は突如として現れ、僕に現実を突き付けてきました。


資料館を進んでいくと、あるひとつの部屋に辿り着きます。どこか薄暗く、鬱屈とした部屋。その部屋の壁には、ひめゆり学徒隊の亡くなった生徒たちの遺影で四方に埋め尽くされていました。そしてその生徒の遺影の下には細かく死因、享年、生い立ちなどが書かれていました。

享年17、複数の生徒と○○教師と共に手榴弾で集団自決。といった具合に。

自決ならまだ幸せとさえ言えたかもしれません。中には米軍により強姦された後、拷問といった内容もありました。当時の僕は強姦の意味こそ知らなかったものの、どこか本能的に危機感を覚えて親にその意味を聞こうともしませんでした。


吐気がしました。間違いなく、小学生低学年には重すぎた内容です。

しかし、どこに目を逸らそうにも、その前に存在するのは夥しい数の写真。目を瞑ろうにも、瞼の裏にその絵はくっきりと焼き付いていました。

実はその施設を訪れた後の数日間は、割とガチ目の悪夢を見ました。その悪夢も現実に存在した訳ですが。


17、18歳で自決するという事の重みというか、苦しみというか、偏頭痛のように脈打つ感情を最近になってまた噛み締めています。

周りの人や物が消えていく、地形が変わってしまうほど風景が廃れていく、阿鼻叫喚が脳を突き刺す。

地獄という他形容のしようがないその時間を、その場所を、僕と同じ年代の子が生きていた。その事実が、僕の背負うべきものです。


是非、皆さんには一度ひめゆりの塔を訪れて欲しいと思います。そして、右から2番目の星を信じる少女にポルノ雑誌を見せつけるような、そんな絶望と恐怖に満ち溢れた現実から、どうか、目を逸らさず、否定せず、そして心に傷になるほど強く、しかし侵食されない程度に、刻んで欲しいと思います。