目が明く藍色に一郎さんが遺書としてこめたメッセージ、以前歌詞を見たけれどわからなかったという丸投げな記事を書いたままだったので、魚大図鑑の歌詞とKikUUikiの歌詞とを見比べてみた。

 

違うところは光はライターの光 ユレテル~

から次 目を開いたら目が藍色に

で終わるところの歌詞がKikUUiki

では円を描くようなかたちになっているが、魚大図鑑では普通だ。

 

この、光はライターの光 で始まる部分だが、ライターのイ、から縦読みをすると「イは待つ」と読めるような気がした。正確にはこのつは大きくなくて小さい「っ」なのでちょっと苦しいかもだけど。

 

この「イは待つ」がもう一度続き

次に「イは色を」

と読める。

つまりこんな感じだ。

 

 

 

 

続きの歌詞のメガアクアイイロ

 

のところのク、から縦読みすると、

と「クもの空」

となるのだが、苦し紛れだけど「イ」は一郎さんのイ、だとして

 

一郎さんは待つ、

一郎さんは待つ

一郎さんは色を

雲の空

 

という文章になるけれど、抽象的すぎてこのままでは意味がわからない。

 

クもの空、から縦読みせずにそのまま横に読むと、

クもの空が青になる その時がきたら いつか いつか

 

と続くことになるのだけれど、雲の空が青になるその時、というのはどういう意味だろうか。

 

一郎さんはいつも自分の気持ちにもやがかかっているような、その常に晴れないような思いを音楽にしていると言っている。逆にそれが晴れてしまったら音楽を作れないようなことも口にしていた。(ちょっと細かい言葉は違うかもしれないけど、そういうニュアンス)

 

雲の空が青になる、というのはその雲がなくなり青空になって、一郎さんを覆っているもやや霧のようなものがなくなる時をさしているのだろうか。

 

その時を一郎さんは待っているのだろうか。

いつかくるかもしれないその時を。

 

いや、私はむしろ一郎さんが死ぬまで音楽を作り続けるというメッセージだと思いたい。

雲の空が青になるまで、自分を覆っているものが全てなくなって晴れるその時まで一郎さんは音楽に向き合っていると信じている。

 

 

 

 

これは私の勝手な解釈で(途中からは横読みだし、半分妄想に近い)仮説のひとつに過ぎません。まだ今後も違った目で見ていきたいと思っているので他にいろんな解釈、縦読みはこっちじゃないか、というご意見などあったらぜひぜひ教えてください。