なつかしの正月遊び、何が好きだった? ブログネタ:なつかしの正月遊び、何が好きだった? 参加中
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私は、昭和32年生まれ。団塊の世代のちょっと後。
まだまだ、貧しかったけれど未来に希望のあった時代に育ちました。
「三丁目の夕日」や「20世紀少年」のあの雰囲気は
まさに私の小さい頃そのものです。

社会人になるまで東京の郊外、府中市に住んでいましたが、
小学校時代は栄町で、中学からは幸町に移りました。
どちらも、公務員住宅ですが、
長屋のような平屋の家から文化的な集合住宅に変わったのです。

でも、栄町は、私にとって故里そのもの。
遊びが子供の仕事、とばかり走り回っていたなつかしい場所なのです。

お正月といえば、まだ、ホントに小さかった頃は、
その、栄町の家の玄関先に
獅子舞が来ていたのを覚えています。
一軒一軒門付けしてご祝儀を貰っていたのですが、
いつからか禁止になったのだそうです。

父は府中にある国立大学に勤めていました。
毎年、正月元旦は、その大学の生協の建物の二階を借りて、
父の独身時代から仲の良かった友人二人とその家族が集まり
一日中飲んだり食べたりして遊んだのです。
三家族それぞれ子供が2人づつ。計6人は、広い部屋で気兼ねなく大騒ぎができ、特別な一日でした。

そういえば、その生協、「生協の白石さん」で有名になったところです。

栄町の住宅は全部で22世帯。
同世代の子供が15人くらいいて、その住宅内で遊び友達は充分。
ドッチボールやら缶蹴りやらロクムシやら
季節や流行に応じていろいろな遊びをしておりました。

子供の頃は男も女もなく一緒でしたから、
正月といえば、羽子板、凧揚げ、
かるた(百人一首なんて高度なものはやったことなかったなー)
ひととおり、やりましたよ。

凧は竹ひごから作るのが流行ったことがあり、和紙に下手な絵を書いて
細い紙で足をつけてバランスをとり空高く上げたものです。
側に、凧揚げが余裕でできる広い「原っぱ」がありました。

2、3年前府中の妹の家に行く時、車で栄町の住宅があったところを
見に行ったことがありました。
もう、とっくに更地になっていて、大学所有のミツバチの木箱がポツンと置かれておりました。
自分が記憶していたより道や、昔からある家などのサイズが小さく感じられたのは、やはり小さな子供だったからでしょうね。

その住宅跡だけ取り残されたように何もなく、
あの「原っぱ」や、私たちが「森」と呼んでいた雑木林などは、
ビッシリと住宅が建っていて、すっかり様変わりをしていました。

もう、半世紀が過ぎているんですねー(ため息)
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