シェルドレイクの仮説を含めて、あらゆる科学は宗教的観点を持って発見されてきた
彼のアインシュタインも「宗教のない科学は不十分であり、科学のない宗教は盲目である」とまでいっている
信ずる物あっての仮説、理論
それを探求し、証明して今の科学が成り立っている
科学者は、勘こそそれの糧となる訳ですね
その勘は宗教的、習慣的な行動の中で磨き、研ぎ澄まされていく
俺は信ずる物は自分だけなんで、その辺は劣る点かもしれません
しかし、だからこそできることがある
それは、新しい発見でなく、既出の理論を補完することではないだろうか?
俺の夢からはかけ離れているが、自分にできることなら快くその使命を果たそうではないか
人は出来事を試練と感じるか、運命と感じるか、それで大きく分けられる
俺はその出来事を事象としてのみ捉えている人間だと思っていた
しかしそれは大きな間違いだった
今日の様なことが起きたとき、俺は試練として捉えていた
でなきゃ、学校に遅刻してまでそんなことはしなかっただろう
大きな出来事の前に人は無力であり、そして解決できるのも人なのだろう
医学の発達には感銘を受けざるを得ない
高校生の俺にも、ある程度の知識がついていたのだから
よく考えれば、自分のとった行動は保健体育の授業で、耳にたこができるほど聴かされていたことだった
その行動が正しかったかは兎も角として、学生という職業に感謝している
今は朝の女性が無事だったかどうかが気になって仕方ない
そこで思ったことがある
もしクソビッチ半沢が倒れても俺は行動するのだろうか?
答えは、はい。だ
どんなに憎しみを持っていても、同じ形をした生き物が目の前で苦しんでいれば、助けてしまう
高田は「俺にはできない」なんていっているが、おれだってそう思っていた
いざそういった事態に陥れば誰しも行動をとる
もしも、動けなくったって何も悪くはない
人にはできることとできないことがある
こんなことを偉そうに書いているが、本音を話そう
俺が行動した本当の理由は、目の前で人が死んだりでもしたら、俺はトラウマに苛まれて一生後悔してしまうと思ったからだ
だから、今俺が死んでも悔いはない
こんなクソ人生の中で、少しでも人の役に立てたなら本望だからだ
でもあさってあたりになって死んだら後悔しまくりだ
だってまだ17年しか生きてないじゃん!!!