ありのままの伊藤若冲。 | 日本画家 榊山敬代 オフィシャルブログ 人生こんなもん。Powered by Ameba

ありのままの伊藤若冲。


きょうは

美術館のひとコマより
伊藤若冲さんを通して

絵の時間を見つめてみたいとおもいます


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こちらは

六本木はミッドタウンにあります
サントリー美術館にて開催された

若冲と蕪村展

生誕三百年…江戸時代を生きた
天才絵師二人による展示でした

伊藤若冲と与謝野蕪村とは。。

そもそも二人の生い立ちとはいかに…

ここで
作品はさておきまして

若冲さんと蕪村さんの生い立ちを
まとめてみたいとおもいます。。

伊藤若冲は
京都にある青物問屋の
長男として生まれました。
23歳の頃 家業を継ぎ
30代の中頃 禅の修行のため参禅し
40歳より家業を弟へ譲り
絵を描くことに専念するために隠居します

与謝野蕪村は
大阪の農家に生まれました。
20歳の頃 俳諧を学ぶために江戸へ
27歳の頃 俳諧の師匠逝去の為
およそ10年間東北地方から北関東をめぐり歩きます
40歳より京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍するようになります

…とこのように

絵に専念するまでの二人の人生を

照らし合わせてみると
興味深いひとコマです

生きてきた過程はいつの日か
絵の肥やしとなりましょうか…

作家の歩んできた人生を知ると
作品の観え方も変わってくるかもしれません。

今の美術教育では
若い頃から基礎と訓練と
絵を描くことを中心にした
カリキュラムが組まれていますが

若い頃だからこそ
訓練しておきたい眼差しがあるならば

自問自答にはじまる自ら考える力や
あらゆる文化に触れて創造力などを
鍛えていく環境も大切のように思います

そのようなきっかけとしましては

気になるジャンルがあるならばとことんと
勉強を重ねていくのも良いかもしれません

明日と未来の
作品のために

やがては

自分のためにも
誰かのためにも

教養に時間を重ねることは
心の発展にも繋がりますようにと
希望を抱いてみたいです。


さて…この度の美術館は
大変混雑しておりました

そのようななか

吸い寄せられるようにして
何度も足を止めた存在とは

伊藤若冲さんの気配でした。

そして

とても久しぶりにご対面した
若冲作品のオンパレードには
終始心がスキップするように

また

ゆるんでいた焦点の軸をピシッと
まっすぐに正していただくように

ひとつひとつの作品に澄みわたる息吹たちを
目の肌でなでるように観察してみるのでした。。


わたしは好きな画家がいませんし
目指している画家がいないなかで

伊藤若冲さんのセンスに出会うときは
心がメラメラしてくるものがあります

はじめに構図
外形の捉え方
色彩の見せ方
画面の捉え方

絵描きを超えてセンスを感じます

もし 今の時代に生きていたなら
デザイナーとしても活躍されていたかもしれません

職人のように描いているというよりは

感覚を記す手段として
絵を描いているように

若冲の作品は表現の永遠性が
かおりつづけているようです


絵画にとって大切なことって何だろう…


問いかけるように
作品と向き合ってみたなら


イメージなる
構図の写実力


頭が理解しやすいように
解釈してみたイメージは

このようなキーワードが
聞こえてくるようでした

この写実力とは
モチーフを写実的に写真のように描く
という捉え方ではなくて

イメージをありのままに
描きあらわす写実力
とでもいいましょうか

目の前に広がる風景を描くのではなくて

モチーフをインプットして
脳内で構成し広がる風景を
ありのままに描き現すこと

若冲はイメージを雰囲気としないで
必然的なカタチで描きおろしている

そのような印象を
あらためて感じていました。

そのような印象を
感じさせてくれるのは

まずは画面に対する構図の
重要性を教えてくれました

それは黄金比など
はかって計算されて描いた構図ではなく

描くモチーフと画面の関係で
定まるべくして描かれる構図

という必然的なリズムを
大切にされているように

若冲さんの作品は画面に隙がありません。

サラッと描いていても
画面に正中線なる重力がみえてきます

日本画というジャンルにて
よく説明される特徴としましては
陰影が無い
写実を追わない
などの要素が挙げられるなかで

若冲の作品には

あえて陰影を感じさせないけれども
確かな陰影を感じる技がありました

手前と奥行きが表現されている作品では
まるで3Dのように感じる程
主人公となるモチーフが浮いて見えるなど
迷いのない線と色の用い方に目が離せませんでした。

そうして観ていると
若冲さんは以外にも

異国のような香りを感じました

絵のはじまりは
中国・朝鮮絵画に習っていたとしても

若冲は型にとどまらずにいて
自ら観る世界を追求されているところでは

時には
モチーフが立体的に観えるがままに影を表現されていたり
色彩の鮮やかさを絵具で再現しようと試みているところなど

自分の眼を信じることの継続は
やがてオリジナルな表現へと
確立されていくのかもしれません

おそらく当時の絵師たちの作品と並べてみても
若冲さんはひときは
他の絵師には無い作風だったかもしれません

そして
もうひとつ

アタマでは理解できないけれど
心が反応する感覚と出会うのでした

それは

ふと 展示風景を客観的に眺めたとき

若冲の作品はスッと
坐禅しているように
観えてくるのでした

正中線といわれる
少し下のあたりは

作品の丹田(タンデン)があるように

そこには

姿勢を坐して心がひとつへと
集まるイメージがありました

この丹田とは人間の身体で説明しますと
おへその3寸下のあたりをいいまして
気の田という意味です

わたしは弓道を五年程習っていたのですが
この丹田を軸として呼吸をすることを習い
身体に備わる不思議な安定感を覚えました

この感覚とは日々の稽古を重ねて
身体が覚えていく体感なのですが

若冲は禅を修行されてきた精神ですから
この感覚が作品へ宿っているとしたなら

とても…興味深いひとコマです


…と

はなしは口の先からお腹の奥までと
掘り下げたくなってまいりましたが

今回はここまでにいたしまして。。


…ぁ

蕪村さんの感想は省略させて
いただきますがごめんなさぃ。。


…さて  

きょうの東京は
雨がシトシトと

過ごしやすい気候でした…

こんな日は画集を観たり
美術館日和なわけですが

きょうは急遽身の周りの
断捨離をしておりました

新しい6月がはじまる前にと
環境を整えなおしております…

ところで明日は

興味深い舞台の時間へ
お招きいただいているのですが

感じたことなどブログへと記せるように
じっくりと観させていただこうと思います。。


…さぁ、次回のブログは

美術かライブか舞台なのか…
迷うところですが

ひきつづきまとめていきたいとおもいます