32歳のおわりに。 | 日本画家 榊山敬代 オフィシャルブログ 人生こんなもん。Powered by Ameba

32歳のおわりに。




ヒュー…  


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…と

春一番が観測された
三月の東京でしたが

気がつけば
サクラも満開となり

あっと言う間に
春の気配な東京です。

ブログも
ようやく

ながいながい冬眠から
目覚めたかのように…

おひさしぶりな更新となってしまいましたが

みなさまは
新しい生活やスタートなど
そわそわされている季節でしょうか

こちらは

相変わらずですが
アトリエにこもって
制作に追われている日々と

三月のおわりは
家族の行事に数日帰省していたりと
バタバタ三月が過ぎていきましたが

きょうから
四月のスタートです。

今年は

時間の流れに
馬が走る如く

一日一日の速度に
スピードを感じております

そのようなわけで

一日中制作していても
あまり進んでいないのは

時間が速いからなのか
手が遅いからなのか
モチーフが細密だからなのか

時間を重ねているわりには
制作がはかどらないことに

焦りも少々と
アタマをかかえてしまうのですが

時間はひたすら未来へと
進んでいきますから

おいていかれないように
顔をあげていきたいものです…

…と

ふとこの頃では。

近い未来を望遠鏡で
のぞいてみますと

33

という数字が
手を振っているのですが。。

きたる
未来の
数日後

わたしは
33歳を迎えるとのことです…


…もぅ33歳。。
まだ33歳…!!


キモチはふりこのように
あらゆる感情が行き交っております。


…と いうわけで

新しい33歳をむかえるまえに。

32歳に感じたこと
おもいだしたことなど忘れぬように

ココへつづっておこうとおもいます。。。


毎年 
歳を重ねる度におもうのですが

32歳もほんとうにほんとうに…
人生で一番眩しい歳となりました。

描いて
描いて

発表して

笑って
泣いて

ドキドキと
すべてが愛おしくて

一年をふりかえりますと
なんだかナミダがうかんできます…
…歳のせいかもしれません。。


そして
このように

人生を眩しく彩ってくださったのは
たくさんのめぐり逢いと
懐かしい方々との再会でした。

それは
東京と名古屋の個展など
発表の活動をするたびに
心に残る物語をいただき

つながれたみなさまには
ほんとうに感謝申し上げます…

ふるさとでの個展では
刈谷から名古屋まで
あたたかな地元のみなさまや
懐かしすぎる同級生の方々

そのうえ

中学と高校の先生方にも
再会することができましたから…
 
東京で活動をはじめてから
地元と繋がれる機会は
なかなかありませんでしたし

このようなカタチで
おもいにもよらなかった
懐かしい再会には

今までのすこしの人生をも
振り返ってしまうのでした。

なかでも

中学一年の担任の先生が
ご来廊くださった時のこと

帰り際 ふと 口にされた言葉に
わたしは
原点を思い出すのでした。。


「 …榊山さんがね

当時授業で発表されていた
将来の職業の夢

先生、おぼえているんだけどね

ちゃんと叶えはじめてるから
すごいなぁ~…とおもってね…」


…当時

将来の職業にまつわる授業の時
なりたい職業の職場へ取材する授業があったのでした。

わたしはその頃から
絵を描いたりアイデアを考えることに
興味があったので
もしお仕事ととしてそのような職業があればと…

父親に相談して
名古屋のとあるデザイナーさまのオフィスへ
取材させていただいたことをおもいだすのでした。

真っ白な紙から自らのセンスで
カタチと色をつくる作業に
ただ ワクワクしていたことをおもいだします…

想像するお仕事が
職業にあるなんて…

画家やデザイナーといった
肩書きはさておき

当時のわたしは

自らイメージしたものを
カタチにする職業ができたらなぁ…
そしてそのカタチが誰かのお役にたてたらなぁ…

それは

なんとなくのなかにも
もしかしたらできるかもしれないという

ちいさなヒカリが
灯りはじめた時かもしれません。

そう信じて

気がついたら

今は日本画家として
つづいているのでした。

ですから 

画家なのに
憧れる日本画家がいないこと
好きな画家がいないことには

あの時灯った
未来に感じる

ちいさなヒカリを目指して
追いかけてきたからなのかもしれません。

絵を描いてるけれど
画家になることが最終目的ではないように

言葉にすると
目標が無いようなニュアンスになってしまうのですが…

そのようなわけで

美術科の高校からはじまり
美術の大学から大学院へと進学しましたが

目指していたところは

組織の団体に所属することでもなく
ギャラリーに所属することでもなく

ちいさくても自分らしい小道で
ものづくりを発信してみたいという

自分でも不思議なのですが
未知の道へ
心がうなずくのです。

その道とは

時おり とても孤独感に包まれますし
時には 試されるような節目もありますし

おそらく
これからも  

このくりかえしのくりかえしを
重ねていくこととおもいます。。

…そして

今年のはじまりの
1月のこと…

過去にさかのぼりまして

わたしが26歳の頃

人生のカミサマから試された
節目となるひとコマと

あらためて
再会したのでした。。


その節目となる
ひとコマのはじまりは

大学院を卒業して
さてこれからどのように歩んでいこうか…

ちょうど
今頃の季節に悩んでいた時期がありました。

美大時代では
制作だけに専念していたわけですが

その結果
運よくも

大学院に入学した時期から

とあるコマーシャルギャラリーの  
オーナーさまとご縁ができまして

作品をコレクターの方に紹介していただいたり
アートフェアに出展させていただいたりと

今おもえば
とてもラッキーで順調な
画家人生のはじまりでした。

けれども
あの頃のわたしは
 
情けない程気がちいさくて
環境にびくびしてばかりで
言いたい事もはっきり言えなくて
そのうちに言い訳を探すようになって

しまいには
絵が描けなくなってしまいました。

今まで描けていたのが
別人のように

ギャラリーのオーナーさまからも
突然どうしたんだよ?
寝てるんじゃない!
起きて!ウェイクアップ!

何度も喝をいれてくださっても
目に蓋がかかったようでした。

絵を描く意欲が
湧いてこないように
心は空洞になったようでした。

人生のカミサマが
せっかく画家デビューとしての切符を
差しだしてくださっているのに
なぜか気力が湧いてこないのでした。

そんな自分に
ただ悔しくてただ焦って
オロオロ泣いてばかりでした。

自分がいるのに
居ないみたいに

絵が描けないと
こんなにも居場所が無いなんて
こんなにも苦しいから

絵なんかやめてしまって
実家にかえろうか…と
あきらめかけていたのでした。

そんな
ある日 

ふと友人が
声をかけてくださったのでした。

わたしの画風を気にいってくださり
オーダー制作をお願いしたいとのご依頼なのでした。

打ち合わせを重ねて
耳をかたむけ 目をひらいて
イメージを膨らませていく度に

空洞だった心に
熱いカタマリが
湧いてきたのでした。

やがて

描けそう…
…描けるかもしれない

描きたい…!

そして
わたしは

未来に誓うように
後悔しないように
夢中で描くのでした。

数ヶ月手を動かしていなかったので
おもうように手が動かず
悪戦苦闘の時間でしたが

筆を走らせる度に

わたしはわたしに
ただいま~と言うように

やっぱりこういう時間が
わたしの居場所なんだなぁと
気づかせてくれるのでした。

そのような時間のなかで
三~四ヶ月を経て

作品は完成したのでした。。。


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タイトル:Navigetor 
和紙・岩絵の具・金箔/91×61cm



…と

ココまでが
節目となるひとコマのおはなしなのですが…


今年の1月に。

この作品と
数年ぶりに

再会する機会に
めぐり逢うのでした。。

この作品は
入口に飾られているのですが

扉を開けた瞬間…

壁には26歳のわたしの息づかいが
変わらずそのままそこに居て
呼吸をしているように感じるのでした。

そしてその呼吸は

叫んでいるように
ないているように

ワー…と

32歳のわたしへ
26歳のわたしが

抱き合う感覚に包まれたのでした。


…あの時情熱を注いでくれて
ほんとうにありがとう…と


26歳のわたしに
告げるのでした。

過去のわたしにお礼を告げるのは
不思議なかんじではありましたが

26歳のとき
あの作品を必死に描いていなかったら

もしかしたら

日本画家という活動もできずにいて
個展で巡り合うはずだった方々とも
繋がっていなかったかもしれません。

人生こんなもん。

このブログも開設されていなかったことでしょう…

少し大げさに
とらえてしまっていますが

このような少しのことが
転機を迎えることもあるものでして

この
Navigetor という名の作品が

まさに

わたしの人生を画家人生へと
新しくナビゲートしてくださったことは

ほんとうのお話です。

やがて

わたしはこの絵を描いてからというもの
自分の素直なキモチを知り
後悔しないように生きなければと
人生に腹をくくる節目となるのでした。

32歳の終り近づく
新年のはじまりに

あらためてこの作品とめぐり逢い
喝なる電流がカラダにめぐるのでした。

きょうは
こんな過去のわたしを
かいてみることになったわけですが…

ちいさなお仕事
ちいさな出会い

すべては今のわたしへと
みちびいてくださっているということ…

あらゆる経験は
歳を重ねていく途中の景色にすぎませんが

一年一年の景色を
おもいっきり生きてみて

そして

一年ありがとう…と
感謝をおもえるように
歳を重ねていきたいものです。

それにしましても

32歳は内よりも外へ
こもりがちなわたしにしては
アクティブな経験をさせていただいた歳となりました。

そして

わたしを育ててくださった故郷や
今の活動ができることになった原点など

あらゆる源を
おもいだした歳だったようにおもいます。

巡り逢えた方々
おひとりおひとりには
ほんとうに感謝のきもちでいっぱいです。

33歳をむかえましても
32歳につながれたご縁を大切に

ひきつづきまして
よろしくお願いいたします…