モーツァルト。 | 日本画家 榊山敬代 オフィシャルブログ 人生こんなもん。Powered by Ameba

モーツァルト。





ちかごろでは。


シー・・・ン と

無音 な なかで 制作していることが 多いのです が


先日。


モーツァルト の CDを いただきましたので

何年ぶりかに

耳をかたむけて 制作してみたのでした。。。


音の世界 とは 不思議なもので

モーツァルト の 旋律が 聞こえてきた 瞬間


小学生時代 の わたしのなか へと

ワープしてくのでした・・・



…と いうのも。

絵の道 を 志すまでの 小学生時代 とは


ピアニスト を 目指しておりまして

当時 聞いていた 音楽とは

流行っている音楽 よりも

クラシックのCD を 聞くことが 多かったことを おもいだします。


また

ピアノのコンクール では

課題曲 に モーツァルト を 選ばれることが多く


当時 の わたしにとって は

「モーツァルト」 と 聞きますと


トリル が 弾けない…
弾き方がわからない…
なるべく弾きたくない…!

まるで 注射を嫌うかのように

拒否する イメージが強いものでした。


モーツァルト の 音楽とは

楽譜はそんなに 難しくないのです が

ベートーベン や シューベルト の
イメージしやすい 世界観 に 比べますと

曲のとらえ方や

曲のイメージ を 持ちにくく 感じていて


当時の 未熟なわたしにとって は

弾き心地 が 悪く 悪戦苦闘して

楽しめない 音楽の世界なのでした。。。



そんなふうに 感じていたことも あったなぁ~・・・



…と 懐かしく 聞きながら

筆を動かしていますと。



…?



思い込んでいた 記憶 から

くるり と

天地 が ひっくり返ったように


モーツァルト が やさしく

手招き を しているのでした。。。


トリル の 響き

音階 や 和音 の 粒


すべてが キラキラ していたこと に

まるで 耳から栓 が ガッポリ と 抜かれたかのように

まぶしい世界 を 感じるのでした。


コトバ で 例えると

どんな イメージかなぁ…


絵筆 が タクト に なりそうなのを

押さえながら 筆を走らせています と

ひとつの イメージ が 浮んできました。


簡単 な 図として は

大輪 の 輪 が 万華鏡のよう に

くるくる まわっているイメージ でしょうか…


その ビジョンですと 抽象的 なので

もう少し

掘りさげてみますと…


植物 が 重力に逆らって

上へ 上へ 円をえがきながら 伸びていく イメージ が

浮んできたのでした。


その 視点 に 合わせていきますと

観えてくる 音の世界 とは


見えない 風の気配

カタチのない 水の粒

変わりゆく カタチなき 雲

鳥や 蝶 が 舞う 軽やかな リズム の イメージ でしょうか…



たとえば

ドビュッシー は

大地 を 這うように
踏み込んでいくような

軽やかな音の中にも 重力 を 感じることが 多いのです が


モーツァルト とは

以外にも 無重力 というか

植物のように 重力に逆らって

上へ 上へ と 伸びようとする 気配 が

奏でられているように かんじるのでした。


その 上へ伸びようとする 生命力 とは

まるで 宇宙の先 まで 続いていきそう な …


モーツァルト は

生きる よろこび を

この世に
音として

残してくださったのだと…


芸術 の 源 のような 感覚 を

モーツァルトリズム から

教えてくださっているような気がしてくるのでした。



モーツァルトさま。


30歳 の 今となって

あらためて

キラキラ と トキメキ はじめてしまいました…


つづらせていただいた イメージは

わたしの勝手 な 解釈ではあります が


幼少時代 は あんなにも

苦手だった モーツァルト が

年を重ねていきます と

全く違うように 感じてしまうことは

おどろいてしまった ひとコマです。


そして いつか

モーツァルト を 愛するキモチから

ふたたび ピアノ の 時間も 楽しんでみたいです…




… と いうことで

きょう も。


モーツァルトさま から 学びながら

あたまの上 は モーツァルト気分にて


日本画の制作 に

はげみたいと おもいます。。。♪”





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