生誕30年物語。 | 日本画家 榊山敬代 オフィシャルブログ 人生こんなもん。Powered by Ameba

生誕30年物語。






1981年4月3日。



場所 は 鎌倉。


鶴岡八幡宮 から 近い

今は 無き ちいさな 病院 が ありました。


鶴岡八幡宮 へ つづく 参道

若宮大路 では 桜が満開 の 季節のなか


桜吹雪の舞う 嵐の日の

夕暮れどき…



ひとり の 女の子 は

ちいさな 産声と 共に

地球 の 一員 として…


ちいさな 呼吸を 灯しはじめたのでした。


その 娘の 名は

榊山敬代。




本日は わたしの 誕生日 です。



いま。

こうして

無事に 生きていること とは

奇跡 です…


そして。

忘れては ならない 物語 として。


わたしが 生まれてくる 前から

人生の1ページ が

熱く 刻まれている ひとコマ が あった ということを


誕生日の 日 に

いつも 思い出すのでした…



そんな わたしの知らない 物語 とは



母親のお腹へ わたしという 小さな命が

無事に 宿った 時のこと…


母親の栄養たっぷり な ベッド の なか

わたしは すくすく と 成長 を していました。


そんな ある日。


母親 は 父親の実家である 愛知県にある産婦人科 へ

いつものように 通院していたとき の こと…


わたしが 鼓動しているであろう

母親のお腹 へ

超音波検査 を したのでした。


しかし。


画面 に 映し出されるはずの わたしの 影は 無く。

超音波 の 反応 が

全く 無かったのでした。


反応 が 無い という こと とは…



病院の先生は 両親へ 告げたのでした…


「お腹の赤ちゃんは 残念ながら

生きている確率が 低い 状況です

99.9%・・・・ 助からないでしょう。

母親の身体 の 為にも 一刻も早く。


赤ちゃん を 降ろすことを おすすめします」



…すると。

父親 は 先生に 言いました。



「 ならば わたしたちは 0.1% の 確率 に かけます… 」



そう 先生に 告げますと

父親は 母親を 連れて 病院を出たのでした。


母親の身体 を 心配しながらも

もしかしたら 生きているかも しれない という


0.1% と という

わずかな 命 へ…


両親 は 希望を 灯して くれたのでした。



そして。

急きょ 母親 の 実家 横浜へ

移動 を 急ぎ

母親 の お母さん の すすめから

信頼できる 産婦人科 へ 移り 検診 を はじめますと…



ドックドック…

…どっくどっく



なんと。。

わたし は 母親のおなかの なか。


元気 に 鼓動していたのでした。


わたしは いったい。

どこに 隠れて いたのでしょう…か…



もし。

あのとき…



父親 が 0.1% の 確率 へ 導いてくれなかったら・・・



わたし を 生かしてくれた

命の恩人。

両親 とは 出会えなかった ことでしょう…



そのころ の わたし という 魂 とは。

記憶 には ないけれど。


きっと 母親の お腹の 中から

真剣 に

まっすぐ と

両親 の ことを 見つめていたんだと おもいます。



そして。

一日でも 早く

両親 へ 会いたかった のだと おもいます。



そんな キモチが 叶って… とでも いいましょうか

わたしは

予定日よりも 二週間 も 早く

未熟児 では ありましたが


やっと 両親のもと へ 参上したのでした。


母親 曰く

お腹を 痛めることなく

気がついたら

スルッ と 誕生した との こと…


けれども。

誕生して すぐに 吐いてしまったりと

不調な赤ちゃん だった ようで

すぐに 抱きかかえることは できなかったようですが

他の 病院から 駆けつけてくれた 先生のお陰から

無事 に 健康な 身体へと 導いてくれたのでした。




未熟児 で。

シワシワ で。

まっ赤っか で。

サル の ような わたしは…



30年 という 月日を歩み。

2011年4月3日 。



五体満足 健康 で。

家族 も 元気で 健康 です。



そして。

両親 を はじめ

多く 出会う 人々 の お陰から


30年 という

奇跡 の 年月を 過ごすことが できました。


30年 とは

あっと いう間 の なかにも。

悩み 喜び 悲しみ…

あらゆる 経験 と 感情 が

わたし の 遺伝子のなか で 刻まれ

生かされています。


あらたな 節目 の 30歳。


今まで 無事に 生かされてきたことに

あらためて 感謝する と 共に…


両親 の お陰のもと。


0.1% の 確率 から 生かしていただいている ことへ

心から 感謝したいと おもいます。



そして。

0.1% という 数字で 決められた 確率よりも。

信じる 力 を 常に 100% 込めて…


これからの 人生も。

0.1秒…0.1秒

熱く 明るく 前向きに


いただいた 命 と 共に

歩んでいきたいと おもいます…



きょうから。


三十路 。


これから 歩んでいく みち を

芸術の道 と 共に 極めながら…


迎える 年月を たのしみながら

流れていきたいと おもいます。


まだまだ 未熟者 ではありますが…

30歳 の あらたな 榊山敬代 も


どうぞ 宜しくお願いいたします!!!










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